「ほら、ここに」「ほら、あそこに」と言ってあなたがたを惑わすもののために警戒しなさい。
まことの人の子は、あなたがたの内側に存在するのだから。
それに従いなさい。
求める者は見出すであるだろう。(「マリアの福音書」より)
風の時代 女性の時代
しかし、どこかまだ上っ面だけ、とり繕いが否めない。
まるで男性性に「女性性」の仮面を被せたかのように。
マグダラのマリアがやってきた。
聖母マリアとは違うマリア。
どこでどのように歪められたか、長らく娼婦のレッテルを貼られていた。
さまざまな評価があるのは承知の上だが、
彼女もまたイエスの真の弟子。使徒のひとりであろう。
長らく表に出ることのなかった「マリア福音書」。
マグダラのマリアの視点から、教えを受ける。
そこから引き寄せられるように、映画「マグダラのマリア」を観た。
強烈な男性至上主義の時代。
女性は家長の命じられるまま、嫁ぐことを余儀なくされた。
地球上には、その文化や風習が、いまだ残る国や地域もある。
マグダラのマリアは、それを拒んだ。
家族の元を離れ、信仰を選んだ。
しかし、そこにもまた男性主義的な状況は存在した。
誰が一番愛された弟子だろう。
優秀な弟子だろう。
人間的な感情が渦巻く。
磔後のイエスが復活し、最初に姿を見せたのは、マグダラのマリアの前だという。
他の弟子たちは、最初からそれを信じなかった。
映画のエンディングに向かって、そういったマグダラのマリアとその他の弟子たちのやりとりが印象的だ。
マリアは言う。
「私たちが変わらなければ、世界は変わらない」
それは、マリアがイエスを介して学んだ神の国へ達する方法だ。
神の国は外にあるのではない、
ここにある。
自分の内側に。
映画最後のシーン。
マグダラのマリアがつぶやく言葉は心に魂を揺るがす。
それは種に似ている。一粒の辛子種だ。
女はその種を庭に撒く。それは大きく成長し、大きな枝を張りそこに鳥が巣をつくる。
女性が男性がという性差の話ではない。
ひとりの人間は、男性性・女性性を併せ持つ。
その真ん中、男性でも女性でもない。中庸の道。
それが、聖なる愛・キリストエネルギーを意味する。
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