映画「銀河鉄道の父」を観た。
「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治の話だから、メルヘン的なものかと思っていたが、親子愛・家族愛がメインテーマのようで、今さらながら「〜父」がタイトルということに、納得。
天才・宮沢賢治をどこまでも信じ、愛した父、そして家族の物語!
主演は、賢治の父・宮沢政次郎を演じた、役所広司さん。
演者の実力もあってか、評判通りの感動作品だった。
ストーリー後半は、涙・涙のハンカチ無くして、観れない。
スクリーン上の賢治を見ながら、色んなことが浮かんできた。
「行間を生きる」
あいうえお
(行間)
かきくけこ
(行間)
さしすせそ
(行間)
たちつてと
・
・
・
産まれたての赤ちゃんの意識は、
(行間)にある。
それが、親や養育者の愛情やサポートで、(行間)と見える世界を行ったり来たりしながら成長し、そして、見える世界に軸足を置くようになっていく。
一方、見えている世界(物質世界)の枠へ押し込め、無理やり矯正しようとするなら、その子は混乱し、傷つき、精神的に不安を抱えやすくなる。場合によっては、(行間)に引きこもることもあるかもしれない。
それは、親子関係のひとつのパターン。
それを魂意識の観点からみてみると、
魂は課題をもって、人間としてこの世界に産まれる。
それぞれ軸足を置く世界があり、肉体・感情・感覚の装備もそれに合わせている。
見える世界・物質世界
見える世界・行間の世界・精神世界
意識・無意識。両方の世界を行ったり来たりして、この世界を捉え、学んでいる。
そして、親子は、
重なりあった時代の中で、
愛、そして、相容れない部分・エネルギーを学ぶ。
相容れないとは嫌い・憎しみと表現されるかもしれないし、課題・カルマともいえる。
それらを経験し、学び、囚われた自分、不自由にしていたエネルギーは解放され、やがて、愛へ統合する。
愛への統合とは、聖なる愛・キリストエネルギーを現す。
人間的愛は、魂段階や時代背景・特性によって、定義・表現のされ方が異なる。
例えば、
ある親は、子どもにお腹いっぱい食べさせることを愛と思うかもしれない。
また別な親は、将来を見据えて、勉強の機会を与えることだというかもしれない。
芸術やスポーツなど、子どもの才能を育てることだというかもしれない。
四六時中、自分の手元において、世の中の危険から子どもを守ることだというかもしれない。
子どもの意思を尊重します!というかもしれない。
子どもが選んだことなら、どのような状況でも、子どもを信じます!というかもしれない。
人間的愛には、親の課題・カルマもOnされる。
それでも愛、あれも愛、これも愛!
人間は、産まれ落ちた瞬間から、自分探しの旅が始まる。
そのため、学び解放する必要のあるエネルギーと同様のものをもつ親の元に産まれる。
親が子どもの反応でイライラする、子どもが親に反抗する、親子がギクシャクするのはそのためだ。
この世界に魂をアップグレードさせるために来た!・・はずが、思うようにいかず、イライラする。
まだ自我が育っていない子どもは、勉強でも習い事でも、親に勧められて、親が喜ぶから、みんなやってるから、楽しそうなどの理由で始めることも多いだろう。
それが、だんだんと自我が育ち始めると、魂の特性に合っていないものは、辛くなってくる。
ところで、自我が育たぬまま成長すると、大人になっても、他人軸で選択するクセが抜けない。
子ども時代の感情・感覚・感性の発達は、色んな意味で大事な役割を果たしている。
もちろん、生きているうちには、それらの発達が手遅れになるということはない。
生きているうちには!
さて、(行間)の世界は、今のところ、多くの人にとっては無意識の世界だ。
だが、その扉が閉まらない人もいる。
両方の世界が見えている。
そして、多くの人は(行間)ではない世界でやりとりをしているため、
(行間)にある人の感性は伝わらない。
多勢に無勢。
ほとんどの人が、(行間)にある人に対して、怪訝な反応、バカする、揶揄ったりする。
(行間)にある人は、傷つき、徐々に、心を閉ざし、語ることを止める。
しかし、生きてる世界のもう一方は、(行間)では無い世界。
どうやら、そこにも行かなければならないようだ。
自分を偽りながら、どうにか、落としどころ、合わせどころを見つけるが。
自分を偽り続けると、今度は、魂の軸を見失う。
実は、(行間)にある人の反応は、(行間)に無い人の、未来生を刺激する。
人は経験したことないことに不安や恐れを抱く。
そのエネルギーが、(行間)にある人を刺激し、ある種の反応を引き起こす。
エネルギーは行ったり来たり、現れ方は様々だが、実は似たようなものを引き出しているのかもしれない。
また、(行間)にある人が魂を表現できず、屈折し、そのエネルギーが怒りとなって大きくなっていくことがある。
するとそれは、自分自身を傷つけたり、他者へ方向転換されることもある。
映画「銀河鉄道の父」。
ここからは、私見だ。(注:ネタバレ含む)
葬式の場面が2度ほど出てきた。
その時、賢治は精神的バランスを大きく崩したようにみえた。
もちろん、映画の中でそれを語られていた訳ではない。
大きな悲しみと喪失感。
多くの人が家族の葬式で、そのような感情を抱くかもしれない。
また、別の見方をするなら、人が亡くなると、彼岸と此岸とつなぐ橋がつながり、こちら側に異世界のエネルギーが大きく流れだす。
悲しみ以上に、それに刺激されることもある。
(行間)にある人は、この世界でのグラウディングが緩い。心身精神と魂の接続が緩い。
どこに向かうにしろ、肉親が亡くなるとは、残される人びとにとっても大きな変化の時でもある。
映画の中では、その混乱を収集するかのように、代替作業を探そうとする賢治。
なんとか、人間であることにしがみつこうとする賢治。
それらは、すべて魂の選択だったろう。
最愛の妹の葬式で賢治の振る舞いは、正気と狂気のようなやりとり。こちらもこみ上げるものがあった。
そして、そんな賢治を理解し、やりたいようにさせておく父。
父の理解と愛情は、
宮沢賢治のその先をサポートする。
解放
死
再生
(行間)ではない世界
(行間)の世界
徐々に、(行間)の世界が拡がりをみせる。
人びとは、芸術家のように、(行間)を知るようになる。
両方の世界を行き来するようになる。
やがて、(行間)の世界が(真)の世界になる。
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