Matsuri(まつり)であって、
祈りであって、
どこかに行かなければならないようで、
はてさて、どこだろう?
やがて、行き着いたのは、
神奈川県愛川町 八菅山。
八菅神社があるようだ。
その時初めて知った山の名前と神社。
「ここだ!」
八菅神社と山岳信仰(愛川町HPより)
(以下、抜粋)
八菅山一帯は、古くから神仏混交の信仰の聖地であり、修験道の一拠点でした。ヤマトタケルノミコト、修験道の開祖・役小角、高僧・行基などの来山が伝えられ、源頼朝や足利尊氏・足利持氏による社殿の建築や整備が行われたといわれています。
修験道の聖地 八管神社(「ポケットに愛川」愛川町役場総務部総務課広報・シティセールス班より)
中世に遡る関東でも有数の修験道の霊場であったが、慶應4年/明治元年(1868年)の神仏判然令で、神仏分離が行われ、さらには廃仏毀釈によって、神仏習合の修験は解体され、明治以降は郷社八菅神社となった。
中世には八菅山の神は「八菅山大権現」として祀られた。
八菅山の縁起は天明6年(1786年)、文化6年(1809年)、天保11年(1840年)の三本がある。
これらはいずれも、大宝3年(703年)の役小角の開基を説く。天保本によれば、日本武尊が東征の砌に、この山を「蛇形山」と名付けた。その後、役小角が峯入り修行に入り、不動・薬師・地蔵の三体の像を刻んだ時に、池の中から白菅八茎が生ずる奇瑞が起こったので「八菅山」と名付けた。
(Wikipediaより)
海老名駅から路線バスに乗り、約30分で最寄りの停留所で下車。
そこから、約25分ほど歩く。
八管橋
とても気持ちの良い川。
河川敷には、キャンプをする人びとも。
中津川
八管橋を渡り、道路を横断すれば、八管神社の入り口。駐車場もある。
八管神社
舗装された道路が続き、歩きやすい。
道の脇に小さな紫の野の花。
整えられた場所でないところが、目をひく。
道は続く。
鳥居
八菅山 由緒
八菅山修験場跡要図
八菅神社の社叢林
地蔵菩薩・道祖神
猿の石仏も!
神仏習合の名残。
鐘撞は経年変化が著しいので、今は、つくことはできないようだ。
そして、坂が続く。
神木
欅 推定樹齢 300年
真っ直ぐ進めば、300段の男坂
左へ向かえば、車道でゆるやかな女坂。
往路は、男坂で!
両脇には、ユニークな姿の樹々たち。
階段は続く。
一段の幅が狭いので、手すりにつかまり、ゆっくりと。
間もなく神社到着というところ、来た道を振り返ってみる。
そして、到着!・・・と、思ったら、
ここにあったのは、
手水舎
観光案内図
八菅山いこいの森(愛川町観光協会HPより)
(以下、抜粋)
自然環境に恵まれた森林を保全し、美しい郷土と町民のみなさんが自然とふれあい、明日への希望と活力を求め、緑を通じ心のふれあいを広めようと開設したものです。
山の斜面を利用した28ヶ所のアスレチックや、町内で見られる野鳥・昆虫・植物などの写真を季節ごとに展示している「みずとみどりの青空博物館」があります。
八菅修験ハイキングコース(愛川町観光協会HPより)
(以下、抜粋)
神仏混淆(しんぶつこんこう)の信仰の聖地で、修験道の開祖と言われる役小角(えんのおづぬ)や、行基(ぎょうき)が峰入り修行を行ったといわれる八菅山。 峰入り修行は、八菅神社を一番行所としてスタートし、三十番行所の大山を目指すものでした。
八菅神社 由緒
祭神 国常立尊・金山毘古命・大己貴命・日本武命
伊邪那岐命・誉田別命・伊邪那美命
八菅神社の祭神は、日本武命と役の小角(役の行者)によって七神が祀られた。
これを総称して八菅山七社権現といった。そして信仰の対象は日本固有の神と仏菩薩とは一体であるという思想にもとついてまつられた社でこの八菅の霊地を護持する人たちを修験(法印)と言い山内の院や坊に拠っていた。
源頼朝の大日堂寄進、足利尊氏による社頭の再建、足利持氏の再興で一山の伽藍に整ったが、永正二年本社、諸堂が兵火で失った。 その後天文十年再建、天正十九年には徳川家康により社額を給せられた。
やがて明治維新の神仏分離令により仏教関係すべてが禁じられ神のみを祀った八菅神社として発足、修験の人たちはみなこの地に帰農した。
護摩堂
本殿へ!
本殿
横に長い本殿。
本殿に向かって、右側後方には、経塚の跡。
スダジイの樹
静かな境内。
水の氣・陰が強い。
もう少しこの場所の氣を楽しみたいと思う反面、陽の氣と調和したい感覚が強くなっていく。
陽の当たる場所、展望台へ向かおう。
横道に入ると、すぐに燦々とした太陽!
冷えた体に温まっていく。
ハイキングコースとなっている道は整備され、歩きやすい。
途中には、
白山堂跡
ここから二十メートルほど奥にあった祠の跡をいう。
白山権現は、八菅神社の祭神七柱のひとつであるが
なにかのわけがあって、とくにここに祀られていたのだろう。(愛川町)
道は完全に閉ざされているようなので、
遠巻きにご挨拶。
梵天塚
八菅山修験組織のひとつである覚養院に属する塚出会った。修験道で祈祷に用いる梵天(幣束)をたてたことにちなむ名であろう。(愛川町)
梵天塚の上はこのような感じ。
梵天塚から間もなくのところに、八菅山展望台があった。
しかし、この日は倒木作業中のようで、早々にその場を離れた。
また、梵天塚付近はアスレチックもできるようで、ファミリーでも、学校行事などでも楽しめそうだ。
ところがこの日は、この周辺には人はおらず。
静まりかえっていた。
梵天塚から少しだけくだったところにもアスレチックの用具があり、休日なら人も多そうだなと思いつつ、なんとなく惹かれるエネルギーがあり、そちらへ向かう。
さて、ここは、
人の世界でもなく、動物界でも、精霊界でも無い感じ。
逆をいうなら、それらどの世界にも通じる間に間。
狭間の世界だった。
山深いともいえず、陽の氣も適度にあって、居心地が良い。
たとえば遠足で来たなら、ここはランチタイムの場所かな? そんな連想もできる場所。
だが、その瞬間は違っていた。
ランチシートを広げ、しばしの瞑想。
狭間の世界をグルグルする。
すると、どこからか、チリン・チリンと鈴の音が聞こえてきた。
熊鈴かな。
その先へと向かう道を歩く人がいるのだろうな。
森の中 ショート動画
ところで、後から知ったことだが、八菅山では、不思議体験をする人もいるようだ。
さすがに修験の地。ここの精霊たちに強く働きかけられる人もいる。
精霊・妖怪・鬼神・霊魂・・表現様々。ゆえに、お社が建てられ、鎮めが行われる。
瞑想したり、ウロウロしたりと、1時間以上、その辺りを体感した。
陽の氣で暑くなりすぎた体のクールダウンも兼ねて、
八菅神社へ戻る。
相変わらずの静けさ。
境内にあった丸太でできたイス?に腰掛け、
ここでもしばし瞑想。
さて、そろそろ帰ろう。
復路は、女坂で!
緩やかな道が続く。
その途中にあったのは、
右眼池
八管山はその山容から蛇形山といわれた。山中には、蛇体の各部位にあたる池がある。
女坂をつらつらと下りてくると、往路に登った階段。
階段を守護するようにしてある樹のカタチが興味深い。
道は続く。
中津川。
Yが逆向きの流れ。
陰があって、
陽があって、
氣の入れ替わりが大きな八菅山。
用語説明
ライトワーク
その文字通り、光の活動・光の奉仕です。
聖なる愛の光の媒介者となって、大宇宙のエネルギーを変性させ地球へと渡します。
それは、自分自身のエネルギーの変性・変容への過程でもあります。
なぜならライトワークの行程中は、高い次元のエネルギーに包まれ、異次元・異世界の意識を経験する可能性が高くなります。
それが魂の成長・霊的進化へとなって、次の経験へと導かれます。
母なる地球への感謝
父なる大宇宙への祈り
そのような想いが自然と内側から湧き上がり、聖なる愛へと変性し、やがて、それは大宇宙への信頼へと変容していくことでしょう。
古代回帰
はるか遠い昔、古代、はたまた神代。
人の超感覚的な能力は失われておらず、まだ境界が曖昧だった異次元・異世界の住人たちと意思疎通をはかることができました。
しかし、この世界の波動が落ちるに従い、人びとのそういった感覚は閉ざされていったのです。
魂の声が聴こえない。動物界や自然界のメッセージに耳を傾けることはない。
まるで地球にある生命体は人間だけといわんばかりの状態です。
地球はひとつの大きな生命体です。そして、意識をもって進化しています。
それに振り落とされないよう、遅れをとらないよう人類のエネルギーの変容・意識の拡大が求められています。
本サイトでの古代回帰とは、意識の拡大を意味します。
エネルギーの変容を成し、異次元・異世界へと意識の拡大をすることです。
さすれば、この世界は人間だけはない。大宇宙にあるすべてのスピリットはつながっていることを体感します。
MAIL:info@cosmic-aj.com
http://www.cosmic-academy.net
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※当サイトでのキリストエネルギー・キリスト種・キリスト意識とは、特定の教義・人物を示すものではなく、大宇宙の聖なる愛のエネルギーを示しています。