家族とは、社会の縮図、宇宙の縮図。
光と影が行き来する。
ひとりの人間の中には光と影が存在する。
「あの人っていい人よね〜」と
言われていたり、
「私ったらなんて素直なんでしょ!」と
思っていても、誰にも過去生から
引きずる影の部分があり、
それもまた自分自身であり、今生で
消化するカルマでもある。
影の部分は無意識という箱の中に
入っていて、上から重く大きな蓋を
しているので、気づかないことが多い。
・・・のだが、あらゆる形でお知らせがくる。
わかり易いのが、嫌いな人、生理的に
受けつけられない人。
それは、無意識層に押し込めてしまった
自分の影の部分。自分の側面。
トラブルに見舞われやすい人生。
その内容を検証してみると、
過去生から繰り返されることだったりする。
影が大きいか小さいか、中身の濃さによって、
今経験していることが喜びに満ちるものか
苦しいものなのか、その度合いも変わってくる。
魂を生きるとは、影と光が徐々に統合される過程だ。
さて、家族の中や社会的組織の中でも
光担当と影担当ができる。
というのも、ひとそれぞれ氣=エネルギーの大きさが
違うので、おのずと、「氣」が弱いひとが
影担当になる。
家族のことでいえば、影担当は氣=エネルギーが
弱い人は、家族のマイナスエネルギーを
もらってしまう。そして病気になったり、
人生にトラブルを招く。
トラブル真っ只中で、自分はどうしていつも
貧乏くじをひくのか、原因が分からないかも
しれない。気がついたら、こうなっていた。
それを選んでしまっているのだが。
心理学でも「家族システム」という言葉があるが、
家族に何か問題が発生した場合、
問題を抱えた人間だけを治療するのではなく、
家族全員が当事者となる。
家族の中で、問題を抱えてしまった人は、
実は家族の影=マイナスのエネルギーを
引き受けている。
小さな子どもがいる家族は、子どもが影担当と
なることが多い。
母親のストレスが子どもにいってしまい、
病気になっている子どもをよくみる。
「うちの子どもは体が弱いのよね〜。もう大変!」
「反抗的でどうしていいか分からない」という場合、
もしかしたら、お母さんがこころに問題を
抱えているのかもしれない。
子どもは親を選んで生まれてくる。
その魂に書き込まれた使命を果たすのが
その生においての究極の目的ではあるのだが、
小局としてはお母さんを幸せにするため。
子どもは健気に、母親の微妙な気持ちの揺れを
キャッチして、母親の思い通りに行動しようとする。
自分の母親が「母親」というアイディンティティ
だけで生きている、
母親という役割にすがって生きている場合、
子どもは無意識にそれをキャッチして、
自分が病気になっても母親に母親の役割を
与え続けようとする。
母親のこころの穴が大きい、
影が大きい場合にはそれは一生にわたるかも
しれない。
また、その家族の闇の大きさによって、
子どもが抱える病気の大きさも変わってくる。
病気になり続けることで、家族のカルマを
解消していると考えられる。
だが、子ども使命や魂年齢によっては子どもの
「氣」の方が強いこともある。
その場合には、親の方が逆に闇の部分を
引き受けてしまうことがある。
実は、私と母の関係がそうだった。
少し前までは、私は母に支配されて生きてきたと
思っていた。表面的にみればはそうだし、
母の影響の大きさはいまだに感じている。
それは、私の厄年のことだ。
「厄飛ばしする人いるんだよね〜」と、
なんでだろ?そんなことを私は言っていた。
誰かに聞いたのかもしれないけど・・・。
それが本当におこってしまった。
母に私の厄を飛ばし、
影の部分を肩代わりさせてしまった。
私が厄年のときに限って、母が大怪我したり、
肉体に大きなトラブルを生じていた。
家族の無意識がその現象を起こしていたのかも
しれないのだが、そういうことは本当にある。
父と私は似ていて、氣=エネルギーが強い。
ストレスを抱えると、「嫌だ!」という
気持ち発生し、同時に強い氣=エネルギーに
よって、無意識にその想念を飛ばして
しまったのではないかと思う。
そして、氣の弱い母が、私と父のシャドーの部分を
引き受けてしまっていたのだろう。
ありがたいような申し訳ないような・・・。
当時の私は、氣=エネルギーが強いだけで、
グラウディングがされていなかった。
メンタルのバランスもとれていず、波動が低かった。
だから、氣遣うことができなかった。
自分の氣をコントロールできず、
人に飛ばしていたのだろうなと思った。
人は波動とエネルギーで表現される。
人間関係も波動とエネルギーからなる。
低い波動は低い波動を呼び、高い波動は
高い波動を呼ぶ。
引き寄せの法則だ。
低い波動が寄りあつまると、間違いなく
揉め事になる。
そのトラブルの中、他者との関わりの中で、
自分にどうそれに向き合うかのレッスンをし、
カルマを解消していく。
そして次のステージの扉が開く。
向き合い方が違うと、「また繰り返し〜」となる。
もし、今、自分を取り巻く世界のいずれかに問題が
発生しているとするなら、自分の波動が下がって
いると考えていい。
過去性から現世までのトラウマや
インナーチャイルド、家族問題から
これまで生きて大きくなったエゴなど、
様々なものが複雑に絡み合って、
今の自分に問題を起こさせ、生きづらくしている。
問題の最中は苦しい。
その苦しさを誰かのせいしたいたし、
しょうがないことだと諦めたい。
人によって、自暴自棄になって
攻撃的になったり、自罰的になったり
することもあるかもしれない。
だが、そのままにしておけば、
その苦しさはまたシチュエーションを変えて、
目の前に現れる。
問題に向き合うのはとても苦しく辛いことだ。
だが、それは「転機」というチャンスのときでも
あるのだ。