2022年12月23日。新月のライトワークは、奈良・山の辺の道!
参加者様には心より御礼と感謝申し上げます。
日本海側を中心に寒波が来ていた。
前日から奈良の一部地域にも、雪が降った。
この日もところによって雪予報。
今シーズン初体験の寒い朝だった。
雪は嫌いではない。むしろ神旅での雪は大歓迎!・・・の時もある。
しかし、奈良駅近くのホテルを出る頃は、太陽が見えていたので、安穏なライトワークになるだろうと、期待半分に待ち合わせの天理駅へと向かった。
今年最後の新月の日に歩くのは、日本最古といわれる道・山の辺の道・南コース。
当初の予定を変更し、スタートは天理駅。
路線バスへ乗り、石上神宮を目指すものの、このバスは途中までしか行かない。
調べてみると、石上神宮への路線バスは少ない!
そこで、バスの運転手さんに教えていただいた通り、天理大学で下車。そこから歩くことにした。
親切な方が教えてくださった通りの(と、思う)道を行くと、そこは参道ではなかったようで、どうやら山の辺の道から石上神宮へ入ったことに気づく。
石上神宮
住所:〒632-0014 奈良県天理市布留町384
祭神: 布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神
配祀神:宇摩志麻治命・五十瓊敷命・白河天皇・市川臣命
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
(石上神宮HPより)
古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。古くは斎宮が居たという。
神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのかが興味深い。
社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡った。その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。
社伝ではまた一方で、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えている。この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣と伝えていたとしている。
(Wikipediaより)
山の辺の道から境内へ入ると、そこにはたくさんのニワトリ達がいた。
ニワトリは石上神宮の一番の人気者です。現在約30羽が参道をはじめ境内の各所にいます。
長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう:高知県産・天然記念物)、烏骨鶏(うこっけい:天然記念物)、採卵用種のレグホン・ミノルカなどが棲んでいます。(石上神宮HPより)
牛の像
参道から入り直し。
大鳥居
手水舎
奥へ向かって歩く。
楼門
重要文化財
さすがに、ご立派!
楼門をくぐる。
拝殿
国宝
当神宮への御崇敬が厚かった第72代白河天皇が、当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられます。いずれにしても拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されています。 (石上神宮HPより)
屋根が白いのは、雪。
本殿
写真なし
当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、明治7年8月に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。(石上神宮HPより)詳しくは、こちらから!
拝殿から振り返ると、楼門と廻廊。
次は、境内社へ!
出雲建雄神社と猿田彦神社
摂社 出雲建雄神社
延喜式内社で、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています。
(石上神宮HPより)詳しくは、こちらから!
末社 猿田彦神社
主祭神は、猿田彦神(さるたひこのかみ)で、 底筒男神(そこつつのおのかみ)、 中筒男神(なかつつのおのかみ)、 上筒男神(うわつつのおのかみ)、 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、 高靇神(たかおかみのかみ)を配祀神としてお祀りしています。
(石上神宮HPより)
天神社と七座社
摂社 天神社
祭神: 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)
摂社 七座社
祭神:生産霊神・足産霊神・魂留産霊神・大宮能売神・御膳都神・辞代主神・大直日神
天神社・七座社
合わせて九座は、生命を守護して下さる宮中八神に、 禍(わざわい)や穢(けがれ)を改め直して下さる大直日神を併せてお祀りしたもので、 当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)と深い関係があり、 上古から御鎮座になっていると伝えられています。(石上神宮HPより)
摂社 出雲建雄神社拝殿
国宝
元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿でしたが、大正3年に現在地に移築されました。
内山永久寺は鳥羽(とば)天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院でしたが、神仏分離令により明治9年に廃絶しました。
(石上神宮HPより)詳しくはこちらから!
境内のあるところから、楼門を撮影!
屋根に降り積もった雪が綺麗だった。
すると、肉眼では見えなかったように思うのだが、
iPhoneの画面を通してみると、屋根に模様が浮かんでいる。
これは・・・ヘビのようにも見えるが・・。
ザワザワしながら、そんなことを話し、歩みを進める。
廻廊の横にあったのは、
神杉
『万葉集』に「石上布留の神杉…」と詠われる神杉が古くは数多く繁茂していました。
現在も樹齢300年を越える杉が数本あり、神杉と呼ばれています。(石上神宮HPより)
神杉の説話
神杉のそばに立つと、陽の光が一層強くなったように思えた。
さて、山の辺の道ライトワークは始まったばかり、先は長い。
石上神宮参拝を終え、そろそろ道へ戻ろう。
ニワトリに案内されるように、山の辺の道へ。
すると、来た時とは様相が違うことに気づく。
太陽だ!
さっきは陽の光が見えず、暗く、心細さを感じるほどだった。
こらから先の旅路を祝福してくれているかのような陽の光に励まされる!
そこには池がある。
ここもまた、太陽が出ているのとそうでないのでは、違う様相だ。
鏡池
鏡池は、江戸時代の絵図から往古には「石上池」と呼ばれていたことが知られます。この池には、奈良県の天然記念物に指定されているワタカという魚が生息しています。(石上神宮HPより)
ワタカの説話。
太陽に門出を祝され、
山の辺の道へ!
石上神宮外苑。
ここにも池がある。
布留口池
季節になると、蓮の花が見どころのようだ。
池を左手に見ながら、山の辺の道を進む。
山の辺の道には、たくさんの石碑が建っている。
万葉集にのる歌や昔ここには○○がありましたの案内など様々だ。
長い時間をそこにある石碑。それを依り代にしているスピリットがいる。
例えば、下の写真。
どのような由緒の石碑かは分からない。
しかし、氣が向く。
石そのものというより、隣にある樹のスピリットが石を依り代にし、行き交う人びとに氣を送る。シンクロしてくる。
さすがに日本最古といわれる道だ。
道そのものがひとつのスピリットのようだ。
ここは狭間の世界。
異世界・異次元と通じる扉がそこかしこにある!
さまざまなスピリットがシグナルを送ってきては、ちょっかいをかけてくる。
道程には石上神宮や大神神社のような人びとの崇敬を集めるお社もあるが、
下の写真のような田舎道も多い。
道程ではほとんど人に会うことも無かったが、面白いことに、賑やかだ。
さて、先を進むもう!
小さい頃の探検遊びのように、陽に照らされた道の先には何があるのだろう?
すると、
柿の木がいっぱい!
そうか、柿は奈良の特産品でもあるか。
柿の木に雪!
地味に感動!
まだ収穫されていないのかな?
柿というと秋の風物詩と思っていたが、所変われば・・かな。
さらに、山の辺の道を先へ進む。
異世界へと通じるような道が続く。
山の辺の道ライトワーク その2へ続く!
石上神宮 追記
垂仁天皇39年には剣一千口と神宝が納められ、天武天皇3年(674年)には忍壁皇子(刑部親王)を派遣して神宝を磨かせ、諸家の宝物は皆その子孫に返還したはずだが、日本後紀 巻十二 桓武天皇 延暦23年(804年)二月庚戌 条に、代々の天皇が武器を納めてきた神宮の兵仗を山城国 葛野郡に移動したとき、人員延べ十五万七千余人を要し、移動後、倉がひとりでに倒れ、次に兵庫寮に納めたが、桓武天皇も病気になり、怪異が次々と起こり、使者を石上神宮に派遣して、女巫に命じて、何故か布都御魂ではなく、布留御魂を鎮魂するために呼び出したところ、女巫が一晩中怒り狂ったため、天皇の歳と同じ数の69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻したとある。当時それほどまで多量の神宝があったと推測される。(Wikipediaより)
石上神宮。布都御魂神についてを書いていると、激しい氣とシンクロするようだ。
神剣の八百万は、やがて目覚めるのだろうか。
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