大嶽山那賀都神社
住所:山梨県山梨市三富上釜口617
ご祭神
大山祇神
大雷神
高龗神
人皇十二代景行天皇の御代、日本武尊東夷御征定の砌、甲武信の国境を越えさせ給う時神助を蒙り、神恩奉謝の印として国司ヶ岳の天狗尾根(2,159M)に佩剣を留め置き三神を斎き祀る。(現・奥宮)
第四十代天武天皇の御代、役行者小角当山(現・社地)の霊験なるを以て修験道場として開山、不思議にも昼夜連日鳴動して止まず、以来当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼ぶ。第四十四代元正天皇養老元丁巳年(717年)三月十八日奥宮より勧請す。
天平七年行基、観世音像(昭和二十五年流失)を刻し、『赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神のみゐづや高く 那賀都とは祈る』との神歌を奉じ、是より当社を「那賀都神社」と称したと伝えられる。又、養老元年最澄、天長八年空海相次いで来たり、清浄ヶ滝・座禅岩、下流川浦に絵書石等の行跡を残す。
(大獄山那賀都神社HPより)
日本武尊
ヤマトタケルとなった皇子はさらに各地の山の神,河の神,海峡の神を征し,出雲の出雲建を詐術で討ち,西方平定をしとげて天皇に復命した。しかし天皇は重ねて追い立てるように,東方十二道の荒ぶる神,王化に従わぬ者を征討せよと命じる。
ヤマトタケルは出発にさいし伊勢の大神に参り,斎宮であるおばの倭比売(やまとひめ)命(倭姫命)から草那芸剣(くさなぎのたち)(草薙剣)と袋を授かるが,そのとき〈天皇はこの私に死ねというのだろうか,西方のいくさから帰りまだ時をへぬうちに軍勢も賜らずなお東国に遣わそうとする〉と述べ,憂い泣いたという。
東国においてもまつろわぬ神・人をことごとく平らげる。
その間,相模国では国造(くにのみやつこ)に欺かれて野火に囲まれるが草那芸剣と袋の中の火打石によって難を逃れた。
また走水(はしりみず)の海(浦賀水道)では,渡りの神の妨害にあい,后の弟橘比売(おとたちばなひめ)(弟橘媛)が皇子に代わって入水し神の心をなごめて船を進めることをえた。
足柄の坂でヤマトタケルは三たび嘆いて〈あづまはや〉(わが妻よああ)といい,それが〈あずま〉の地名の起りとなったとされる。そこより甲斐,信濃を経て尾張に至り,往路に婚約した美夜受比売(みやずひめ)(宮簀媛)と結婚する。
だがミヤズヒメのもとに草那芸剣を置いて伊吹山の神を討ち取りに出かけた皇子は,神の降らす氷雨に惑わされ,以後,当芸野(たぎの),杖衝坂(つえつきざか)と進むにつれて疲れを増し,三重についたときは足が三重に曲がるほどの状態になる。
(ジャパンナレッジより)
東日本は、蝦夷征伐・日本武尊がキーワードの神社が多い。
日本初期、大和国家の樹立・安定のため、壮絶な戦いが繰り広げられた。
覇権争い、領土攻防。ご近所トラブルから国家間の戦争まで。
昔も今も、大なり小なり、人間がやることはそう変わらない。
しかし、日本武尊の時代は、界の境目が曖昧だった。
現代を生きる人間が見ることのない八百万の神々や精霊たちなどとも相対時した。
なぜ、日本武尊でなければならなかったか?
表現は違うが、卑弥呼と似た氣が流れてくる。
そして、日本武尊。
どのようなスピリットの器になったのだろうか?
さて、いよいよ、大嶽山那賀都神社へ参りましょう!
駐車場からは徒歩20分ほどの距離らしい。
案内版
道中は、「緑と水と社の森林浴コース」。
どうやら川沿いを行くようだ。
歩き始めて間もなく、
「行ノ道」の札。
微妙な傾斜の坂道。
なるほど、森林浴!
進行方向、左側をみると、
木々が迫り出している。
大きな石も多い。
落石注意!
確かに、確かに、
注意ごもっともの行の道。
石が落ちてこないのが不思議なくらいだ。
木と石のハーモニー!
仲良しなんだな。
右側の木や岩に氣が向いていたが、
進行方向、左側には渓谷。
勢いよく水が流れている。
動画はこちら!
山肌からは、湧水。
自然の芸術とも思える樹々や岩などの形。
行の道は終わり、
次は、「天渓の道」。
八百万の磐座になりそうな岩。
そして、それを守る樹々たち。
那賀都渓谷の案内。
歩き始めた頃は曇り空だったが、
徐々に太陽が顔をのぞかせる。
光の儀式をしてみると、
下の写真の真ん中にある細い樹。
少し力を加えれば折れそうにも思えるが、
樹の周辺にオーラのような輝きが見える。
まるで、何かに守られているようだ。
徐々に神社に近づく。
すると、ずいぶん下の方にあると思った水の流れが近い。
そして、神社到着!
案内図
鳥居
境内にも水の流れ!
水の勢いが強い。
動画はこちらから!
さらに進むと、
不動の滝
動画はこちらから!
不動の滝のそばには小さな不動明王が祀られていた。
不動の滝の少し先から、氣が変わる。
一層、水の氣・陰の氣が強くなる。
高龗神が祀られているからか、京都の貴船神社のエネルギーに少し似ているところがある。
しかし、ここは山梨。富士山のお膝元。
水の氣とは別に、火山、火の氣を感じる。
それが京都の貴船には無い、少しの荒々しさを表現する。
二の鳥居をくぐり抜け、参道を進む。
檜皮葺の歴史
ところで、ここは、役行者ゆかりの修験の地でもある。
天狗のうちわ
夫婦檜
天狗
当神社では天狗は神様のお使いです。恐い顔のイメージを持たれる天狗ですが、穏やかな表情をしており、参拝者を温かく迎えてくださいます。また神通力を持つ羽団扇(はうちわ)は願望を成就へ導くと云われています。(神社HPより)
古びた狛犬。愛嬌のある顔。
薬王神社
修験の地だからだろうか。
参道を鳥居からこっち、みるものすべてに術的ともいえるものを感じていた。
境内の結界。
そのような表現がピタリと合う。
陰・陽の道
随神門
略誌
随神門にも、
カラス天狗
天狗
手水舎
常夜灯
そして、階段を上って拝殿へ向かう。
ここにも、案内役の天狗氏たち。
拝殿
拝殿から来た道を振り返る。
拝殿から下を見る。
拝殿から下を見る。
拝殿でお参りのあと、
さらに奥へ向かう!
続く。