2022年9月の新月のライトワークは、神奈川県伊勢原市にある日向薬師を訪れた。
参加者様には心よりの御礼と感謝を申し上げます!
実は、この日のリリース時の行き先は、南足柄方面を予定していたのだが、2つの理由から行き先を変更させていただいた。
1つ目は台風の影響。2つ目はライトワークより数日前、アストラル界で出会ったのは、どちらかの仏様と2本の樹。
樹は上にいくにしたがって、3本に分かれていた。
どちらの仏さん? どちらの樹?
はたと、9月の初めに訪れた日向薬師を思い出す。
そんな訳で、参加者様の了解いただき、ライトワークの場所が変更された。
そして、当日。
集合は、小田急電鉄伊勢原駅。
そこから路線バスを利用する。
伊勢原駅といえば、霊山・大山への経由地。また、それ以外にもパワースポットが点在する。
隣接する秦野市には、出雲大社相模分祠があることから、スサノオ神=牛頭天王などと強くつながり、
渡来人とされる秦氏が連想する。
さて、日向薬師へ向かうバス停には、発車時刻の20分ほど前にもかかわらず、すでに長い列。
バスは満員!
実はこの時期、薬師周辺は曼珠沙華、通称彼岸花が見頃らしく、それを目当てのグループを多く見かけた。
バスの中でも、この路線にお住まいだという地元の方から彼岸花の話をお聞きし、まるで観光シーズンの京都の市バスのような乗車率に納得した。
ライトワークの面白さはちょっとした瞬間にやってきて、お弁当箱のすみっこのようなところにも見ることもできる。
エネルギーがエネルギーを引き寄せる。
エネルギー✖️エネルギーが、独特のエネルギーフィールドをつくる。
そこでは、何かが現れる。
形があるかもしれないし、関係性のようなものかもしれない。誰かに、何かに所以のあることかもしれない。
見える形のこともあるし、見えないこともある。
大なり小なり、激しくも穏やかに、何かが現れる。
気づく気づかない、影響されるされない。
それは、魂の縁、課題によってさまざまだ。
人いっぱいだ〜 窮屈だ〜 狭いだ〜 なんだ〜 かんだ〜と、話をしたり、あっちこっちと意識を向けている間に、
バスは終点・日向薬師へ到着。
伊勢原駅からの所要時間は、スムーズにいくと、21分。
大混雑のこの日はもう少しかかったかな。
バスを降りてのち、参道に入り、徒歩15分ほど歩くと境内だ。
日向薬師
ご本尊 薬師瑠璃光如来
奈良時代初頭の霊亀2年(西暦716年)に、僧行基により開山されました。
僧行基が熊野を旅していた際、薬師如来のお告げにより、相模国のこの地(現在の神奈川県伊勢原市)に、
日向山 霊山寺(ひなたさん りょうぜんじ)を開山した、と伝えられています。
(日向薬師HPより)
日向薬師は、元の名を日向山霊山寺(ひなたさんりょうぜんじ)と称した薬師如来信仰の霊場で、関東地方では有数の古寺である。本尊は平安時代前期に作られた鉈彫り(なたぼり:像の表面にノミ目を残して仕上げる彫刻様式)の薬師三尊 像である。また宝物殿には阿弥陀如来や四天王、十二神将など 23体の仏像が納められている。これらを含め 国の重要文化財9件、神奈川県および伊勢原市指定の文化財を多数所蔵する。(Wikipediaより)
それでは、参りましょう!
日向薬師。
正式には、
高野山真言宗 日向山 宝城坊 日向薬師。
案内板に記載されていたが、
日本三大薬師のひとつ。
柴折薬師(高知県大豊町)・米山薬師(新潟県上越市)とともに「日本三薬師」に数えられることもあり、峰の薬師(相模原市)・高尾山薬王院・新井薬師とともに「武相四大薬師」として信仰を集めており、一時期は勅願寺になり、江戸時代末期には 12坊を数えたと言われる。
(Wikipediaより)
三大薬師ってあるのね!と、初めて知った。
ここ2〜3年は疫病蔓延の世の中。薬師如来の出番多し!
というのも、表裏は一体。
スサノオ神=牛頭天王=薬師如来。
牛頭天王=疫病神
疫病神=薬師如来
ってことは、ってことはが重なると、父なる大宇宙の意図により、疫病は広がり、それではなんだからと救いの手を差し伸べる。
捨てる神あれば、拾う神あり。
さて、その取捨選択はどこにラインがあるのだろう?
参道へ入るまでは、緩やかな道が続く。
周辺には家々や田畑があり、のどかな田舎の風景。
やがて、参道へとつながる階段が見えてくる。
その前にあったのが、「いしば(衣装場)」の案内。
「頼朝公が日向薬師参拝の時、ここにおいて衣装を脱ぎ白装束に衣装を着替えたところから「衣装場」といわれ、現在はなまって「いしば」とよばれています。」
ここでも、鎌倉殿!
神奈川県だからということもあろうが、
鎌倉時代のエネルギーに、あちらこちらで遭遇する。
魂がその時代に置き忘れたことがあるのか?
鎌倉時代の一部のエネルギーが、次元の狭間・界の狭間から流れてきているのか?
両方とも大いにある!
なぜなら、大宇宙は多次元!
「いしば」の案内を眺めつつ、階段を上る。
すると、
山門
二体の力士像がここから先、境内を守護する。
仁王門の説明
山門を抜け、
参道へ入る。
さまざまな形をした木々たちが迎える。
日向薬師の寺林
本堂・参道を取り巻く境内にはスダジイ、モミ、ウラジロガシ、イロハモミジ、タブノキ、ケヤキなどの自然植生が多数高木に生育しているとともに、スギの植栽樹が混在し、また群落分布からの特殊性も指摘されている。神奈川県指定天然記念物。
(Wikipediaより)
木々のスピリットが作るエネルギーフィールドは、とにかく気持ちの良い氣をつくり出していて、
硬くなっていた心身が緩み、ほぐれる。そして、呼吸が楽になる。
森林浴とはよくいったものだ。
参道
参道の途中には、お地蔵さん。
はるか昔から、参拝者を優しく導き、見守っていたのだろうな。
病気になれば、現代なら病院へ行くのが常だろうが、少し前には、神仏を拝むより他に選択肢が無いという時代もあった。
それは今も、信仰というほど強いものではないだろうが、人びとの心の中に居場所を作っている。
薬師如来を頼りにこの道を上がっていった人びとの心は、「なんとか救われたい」という想いが大半を占めていたことだろう。
そして、最後の階段を上ると、本堂へ到着!
本堂(薬師堂)
茅葺き屋根に心が和む。
「宝城坊本堂」の名称で国の重要文化財に指定されている。日向山霊山寺の本堂を、同寺の別当坊である宝城坊が引き継いだもの。数度にわたり改修されているが、万治 3年(1600年)に幕府から寄進された丹沢の立木百本および前本堂の古材を使って修造されたのが現存の本堂である。(Wikipediaより)
日向薬師は、本堂・宝物殿に重要文化財級の仏像がたくさん安置されている。
ところで、この日のライトワークは、次々と楽しい出会いがあった!
手水舎へ近づこうとした時、年配の女性と目があった。
その方も手水舎に用がありそうな気配。
お互い一瞬の譲り合い。
そして、譲っていただいたこちらが手を浄め・・・
すると、その女性はわたしたちグループに近づいて来て、話を始めた。
内容は、大河ドラマ・鎌倉殿の13人にまつわることからの展開だったように記憶している。
話の内容はさることながら、初対面にも関わらず、なんとも打ち解けた空気が流れたのが印象的だった。
その方は別のグループでいらしたようだが、途中ではぐれ、自分だけ先に来たとおっしゃっていた。
陽氣な出会いに、こちらの氣も高まる。
ライトワークをしていると、神仏だけではなく、スピリットガイドが人間の口を借りてメッセージを伝えてくることもある。
何気ない出会いそのものが、魂からのメッセージ。
というのも、霊的な学びの最初の頃は、自分自身がその道にいるなどと思いもよらないし、気づきもしない。
頭の中に浮かんだことが、どこかで見たり聞いたりしたことか、考えたことか、直感なのか、精査できない。
何かの情報を鵜呑みにして行動した結果、とほほ( ; ; )を引き当てることもある。
ライトワークは、日常ではないエネルギーフィールドにあるため、不可思議なことも起こりやすい。
スピリットガイドが人間の口を借り、メッセージを伝えてくることは、よくあることだ。
本堂に向かって右側には、
虚空蔵菩薩
空洞になった霊樹の中に祀られている。
かつては日向山 奥の院に祀られていたものらしい。
境内に入ると、
この一帯のエネルギーが一番強いように感じられた。
言い方を変えると、引きが強いのだ。
それは、日向薬師の後方に広がる日向山のエネルギーは、この霊樹が媒介しているのだろう。
宝城坊鐘堂
銅製の梵鐘には暦応 3年(1340年)の銘があり、国の重要文化財に指定されている。鐘堂は当初平安時代に建造されたと考えられているが、現存する鐘堂は後に再建されたもので、宝暦13年(1763年)の銘が見つかっている。その12本の柱は刻を護る十二神将を表すものと考えられている。伊勢原市指定文化財。(Wikipediaより)
幡かけ杉(宝城坊の二本杉)
関東管領足利基氏が幡をかけて平和と五穀豊穣を祈ったと伝えられる。
推定樹齢 800年で、県指定天然記念物、かながわの名木100選。(Wikipediaより)
2本の樹!
アストラル界で出会ったのは、この樹の精霊たちだったか。
本堂に向かって左手奥へ行くと、宝物殿がある。
ここには、たくさんの仏像が安置されているので、見応え抜群!
アッと驚くほどの如来像もある。
仏像もさることながら、管理されている方の日向薬師への愛情と興味深いお話をたくさん聞くことができた。
歴史、信仰、四方山話、あれこれあれこれ。
宝物殿
平安時代から鎌倉時代にかけて造立された重要文化財の仏像等を納めている。
本尊薬師三尊像も本堂からここに移されているが秘仏で、正月三が日など特定の日に開帳される。要拝観料。
(Wikipediaより)
日向薬師をたっぷり堪能し、帰途へ。
参道を下りながら、樹の氣に癒される。
境内ではさまざまなエネルギーとシンクロした。
楽しかったとはいえ、複数のエネルギーを同時に受けると、身体をぎゅっと収縮させることもある。
参道はその収縮を解放しながら、フィールドを点々と変えていっているようだった。
山門を抜け、階段を下りる途中、向こうに見えのは、大山かな?
さて、日向薬師でさまざまなエネルギーとシンクロし、知り得たこと。
知ったというのか、ヒントが与えられたというのか。
日向薬師のある日向山を海へと下る。
ほぼ直線上にあるのは、神奈川県大磯にある高来神社。
関連記事:
【祈り】燈籠の紋章の意味は!? そこは高句麗から渡来した人びとに由来するお社といわれていた! 高来神社・神奈川
高来神社は、渡来人に由緒のある神社といわれる。
薬師如来を本地垂迹とされるスサノオ神や牛頭天王もまた渡来神という説。
さらに、「日向」の地名に注目した。
宮崎県日向。
天孫降臨を初め、さまざまな神話や伝説、伝承がある。
日向神話。
歴史の検証や謎解きミステリーをしたい訳ではないが、八百万が伝えてくることは興味深いし、魂グループにとっても力強い。
ここは、神奈川。
しかし、日向山のエネルギーは、宮崎県日向のエネルギーとつながっている。
ある次元では同一ともいえる。
ライトワーク。
その時、魂は、多次元を経験する。
さて、日向薬師の境内を出た私たちのライトワークは、まだまだ続く!
追記:
鎌倉時代の史書『吾妻鏡』にも日向薬師にかかわる記事が見られる。建久3年(1192年)8月9日条には、源頼朝の妻・北条政子の安産祈願のために読経をさせた寺院の1つとして霊山寺の名が見える(この時生まれた子が後の源実朝)。また、建久5年(1194年)8月8日条には、源頼朝が娘の大姫の病平癒祈願のため自ら「日向山」へ参詣したとの記載がある。(Wikipediaより)