【祈り】鷲権現現る!? 日本一の大フクロウ(不苦労)のご利益満載!  鷲子山上神社・栃木/茨城

2022.9.28  Chikako Natsui
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不苦労 フクロウ

日本一の大フクロウがいるという鷲子山上神社を訪れた。

たまたま見ていたテレビ番組で紹介されていたのがきっかけだった。

氣が向いたのは、神社が栃木県と茨城県の境にまたがるようにしてあるということ。

以前訪れた長野県と群馬県にまたがる熊野神社/熊野皇大神社を思い出す。

関連記事:

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このように県をまたがる神社は、日本で2つ。

熊野神社/熊野皇大神社と鷲子山上神社

では、もう一方へも!

ちょうど夏休み。実家のある福島からの帰り道に訪れることにした。

 

鷲子山というくらいだから、山中だろうと予想していたが、細い道をどんどんと奥に入っていく。

そして、到着!

駐車場から少し歩くと、「ようこそ ふくろう(不苦労)神社へ」の案内がある。

横の階段を登ると、

 

 

フクロウロードがある。

たくさんのフクロウの像が並んだ道を歩き、神社へと向かう。

 

 

 

 

↑ 五行フクロウ

 

 

大黒天フクロウ ↓

 

 

フクロウを撮影しつつ、

鷲子山神社へ到着!

 

鷲子山上神社

ご祭神

天日鷲命
大己貴命
少彦名命

 

大同2年(807年)に矢又村(現・栃木県那須郡那珂川町矢又)の大蔵坊宝珠上人が阿波国から天日鷲命を勧請したのが鷲子山上神社の始まりであるとされる。当時の社名は「鷲権現」であったが後に鷲子山上神社に改称した
また創建の地は朝日岳(朝日嶽、境内にある本宮神社の位置)であった。地元の伝承では、製紙に成功したため製紙の神である天日鷲命を祀ったという。山麓の常陸大宮市鷲子では製紙業が盛んであったようであり、「鷲子」という地名は天日鷲命に由来するという説がある

天長5年(828年)、疫病の流行のため、平癒を願い大己貴命と少彦名命を合祀した。この頃の信仰圏は広く、常陸国・下野国・陸奥国に及んだとされる。八溝山地は修験道の修行場として名高く、八溝山地の中でもひときわ高い山である鷲子山は修験者から霊山として崇められ、神社は厚い信仰を集めた
(Wikipediaより)

 

茨城県は、大己貴命と少彦名命のセット神が多いという印象。

 

それでは、鷲子山上神社へ参ろう!

 

 

 

大鳥居へ続く階段の前には、栃木県と茨城県の境を示す看板がある。

 

 

2つの県にまたがる神社なので、社務所も栃木県と茨城県それぞれにあるそう。

 

 

大鳥居をくぐり抜け、

 

 

水かけフクロウ ↓

 

最初は手水舎かと思って、自分の手に水をかけたが、

はたと気づき^^;

フクロウに水をかける。

 

 

随神門(楼門) ↓

 

 

その先には、

 

 

フクロウ(不苦労)の階段 ↓

ふくろうの石段は、社務所より拝殿前まで96段(苦労)あります。
片道苦労(96段)、往復不苦労(2回苦労.296)
(鷲子山上神社HPより)

 

 

 

途中にも、フクロウのお出迎え!

 

 

そして、門をくぐると、

 

 

本殿 ↓

 

 

そばには、フクロウ ↓

 

 

本殿 ↓

 

 

本殿に向かって、左側には、

 

千年杉 ↓

 

 

三本杉社 ↓

 

 

 

三本杉社から、クルリと後ろを振り返ると、ちっちゃく「県境」の標を発見!

 

 

三社 ↓

 

 

 

三社 (風神、雷神、古峯神社)

 

 

恵比寿大明神 ↓

 

 

 

古来よりの八百万のお祀りのされ方のようで、なんとなく落ち着くのは面白い感覚。

 

 

恵比寿大明神から、くるりと後ろを向くと、

ちょうど本殿の真後ろ

ここには、羽黒社 ↓

出羽三山より遷って来られた神様です。古来、現在の御本殿の地にありました。
現在の御本殿が作られた折、その地を現在の地にお遷りいただいた為、北向きに立っております。(鷲子山上神社HPより)

 

 

羽黒社にご挨拶をしていると、陽の光が強まったように思えた。

本殿を見あげる。

屋根のところが、眩しい。

雨が降り始めていて、太陽ではない。

でも、眩しい。

 

 

あれれ?

 

光の儀式をしてみよう。

すると、ぼんやりと形が現れた。

 

最初はニワトリ?と、思った。

 

 

多くの神社では、大概が龍神現る!・・なのだが、

ここでは、まるで、鳥が羽を広げているような映像。

そうか、

よくよく考えてみれば、「鷲権現」、鷲、天日鷲命とは、鳥ですな。

 

天日鷲神

阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波(あわ)の忌部氏(いんべし)の祖神。
麻植神(おえのかみ)、忌部神(いんべのかみ)とも呼ばれる
また高魂命または神魂命の裔神の天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)ともされる。

神話で知られているのは天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、天日鷲神が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥(きっしょう)を表す鳥といって喜ばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。という内容である
後に平田篤胤は、神武天皇の戦の勝利に貢献した鳥と同一だと言及している
(Wikipediaより)

 

 

しばし、鳥のお使いさんと遊んだあとは、

 

大黒天 ↓

 

 

 

奥山稲荷 ↓

 

 

 

 

疱瘡社 竈社 田野社 ↓

 

 

 

六地蔵 ↓

平成2年、御殿正面のスロープ工事の際に、地中から出土しました。
明治時代の神仏分離令により埋められたものと判明しました。
特別なパワースポットとして月参りされる方が多い処です。
(鷲子山上神社HPより)

 

 

本殿を一周するように、坂道を降りる。すると、地蔵菩薩たちが並んでいる。

見るからに朽ちているお地蔵さんだが、一瞬怖いと感じる凄みのあるエネルギーを発していた。

この記事を書くので、改めて神社HPを読んでみると、それも合点がいく。

優しく世を見守っているともいえるし、一方では、なにか警告のようなものを発しているようにも思えた。

 

 

さらに坂道を下り、本殿を下から見あげる。

 

 

そして、坂道にあったのは、天狗の足あと。

神社HPによると、古来、天狗がこの樹に駆け上がった跡だという。

 

 

 

きた道を戻りながら、本宮へと向かう。

 

先ほど降り出した雨。

この頃には、本降りとなった。

 

 

階段を上り、そこにあったのは、

日本一の大フクロウ! ↓

 

雨の勢いが強さに、急いで大フクロウの下にもぐりこむ。

 

雨宿りと思っての行動だったが、先にいらしていたどちらかのご夫婦の奥さまから話しかけられ、

テレビ番組を見てやってきたと盛り上がり!

すると、四神の御柱について教えてくださった。

大フクロウを支える四方向の柱。これを、四神の御柱というらしい。

 

四神の御柱(青竜(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)・朱雀(すじゃく)・玄武(げんぶ))に除災招福・方除けを願いましょう。
この四本の御柱は「両手を押し当て、厄除け・方除け・災難除けを願う」柱です。
柱の○部分にそれぞれ右手、左手を押し当てて願いを込めます。
特に、自分に関係がある御柱には、念入りにご祈念ください。
願いは頭上の大神様のお使い、大フクロウが運びます。
(鷲子山上神社HPより)

 

真ん中にある御柱は、金運不苦労御柱。

「苦労や悩みをたたき出し、図上の大フクロウに運び去ってもらい、金運福徳・開運幸福を大フクロウに運んで来てもらいます。」
という柱です。高額宝くじが当たった、温泉が出た、商売が繁盛した等、金運にまつわる幸運の話題が絶えない不思議な御柱です。
笑顔で、不苦労御柱をたたきましょう。」(神社HPより)

 

大フクロウについて、詳しくは → こちら

 

 

ならば私もと、教えていただいた通り四神の御柱を順にいく。

大フクロウか? はたまた天日鷲命か?

通りすがりの縁ではあるが、つながれた見知らぬ者同士、盛り上がっていると、その様子を見ていた、別のご夫婦の奥様が聞いてくる。

「ここ、テレビに出たんですか?」から始まって、四神の御柱の祈念の仕方など、

面白いように、大フクロウの足元で、エネルギーがシンクロしていた。

 

 

さて、大フクロウから離れ、

その奥にあるのが、本宮 ↓

 

神社HPによると、古い時代にはここに鷲子山上神社にあったらしい。

両側にあるのは、狛犬ではなく、フクロウ!

 

 

光丸山神社 ↓

ご祭神 大己貴命 少彦名命

 

 

本宮・大フクロウのある場所から、フクロウロードへと戻り、

さらにその先には、浅間神社(富士権現) ↓

 

足元が厳しそうなので、鳥居のこちらからご挨拶。

 

 

これにて、鷲子山上神社参拝は終了!

 

フクロウの御朱印がとても可愛い♡