2022年7月8〜9日、長野県へ。
初日は奈良で大きな事件があり、なんとなく氣がそちらの方へ向きがちだったが、列島がざわついている時に、東と西をつなぐ長野にいるのには、大地からのメッセージが発せられているのだろうかと、そんなことが頭をよぎる。
1泊2日の旅程。
松本・安曇野・諏訪と、さまざまな八百万とのシンクロニシティ!
おいおい書いていくことにして、グループスピリットが最初に選んだのは、諏訪・手長神社。
行こう!と、思ってからちょうど1年。
諏訪といえば、諏訪神社!しか知らなかったが、始まりは、埼玉県にある大宮氷川神社。
その境内社に、門客人神社がある。
ご祭神は、足摩乳命・手摩乳命。
関連記事:
【祈り】古代祭祀の地 スサノオファミリーが鎮まるところ アラハバキ神をしる! 大宮氷川神社・埼玉県
最初は祭神名がピンときていなかったが、後から、スサノオ神の奥さん・クシナダ姫の両親であるアシナヅチ・テナヅチだと知った。
そして、それが謎の神とされるアラハバキへとつながっていく。
あれから1年。じみ〜にアラハバキ神を追っている。
追っているというと、熱心に調べているように思えるが、ピ〜ンと頭の中にアラハバキ神がやってきた時、活動する。
ご祭神 手摩乳命
別名を「手長彦神」といい、諏訪大社の祭神・建御名方神に随従する神。
建御名方神が諏訪大社に祀られる以前からこの地で信仰されていた神とされる。
日本神話では、建御名方神の先祖の奇稲田姫の母神の名として登場する。
同じ諏訪市内には父神の名である足摩乳命を祀る足長神社もある。
創建の由諸は不明であるが、境内の近くには旧石器時代・古墳時代の複合遺跡である手長丘遺跡が、境内上方には茶臼山古墳群があり、周辺には古代から人が住んでいた。
古くは「手長宮」・「手長大明神」と称され、諏訪大社の末社であった。
元は桑原郷の総鎮守で、足摩乳命とともに祀られていた。のちに鎌倉時代に桑原郷が上桑原と下桑原に分けられたとき、下桑原に手摩乳命を祀る手長神社が作られ、上桑原の足長神社とともにそれぞれの鎮守となったとされる。
領主・武家や庶民からの崇敬が篤く、高島城の鬼門に位置することから諏訪藩家中の総鎮守とされた。
(Wikipediaより)
諏訪大社以前にこの地で信仰されていた土着の神のようだが、日本神話では、クシナダ姫の母神として登場。
現在の島根県出雲に居を構えていたとされるアシナヅチ・テナヅチが、なぜ、諏訪の土着の神に?
さまざまな考えが浮かんでくる。
それはさておき、まずは手長神社をお参りしてみよう!
地の氣とのシンクロニシティは、多くのことを教えてくれる。
まだ鳥居をくぐり抜けたわけではないが、地の氣の強さが階段を流れ落ちてくるようだ。
鳥居をくぐり、階段を上る。
階段の途中で、陽の氣が強くなったように思えた。
光の儀式をしてみると、レイラインが現れた!
階段を上り終えたところにあるご神木。
境内のキーパーソン!
拝殿 ↓
う〜ん・・・
この感じ・・・
地主神のエネルギー・・・かな。
境内の向こう側に氣が向く。
何かがあるようだ。
聖徳神社 ↓
ご祭神 聖徳太子
狛犬ではなく、シャチホコがあるのは珍しいらしい!
5月の京都・奈良の隠れキーワードのひとつ。聖徳太子。
ここでの再会は嬉しい限り!
そして、また、手長神社 拝殿へと戻る。
途中の回廊 ↓
ご神木の近くに井戸らしきもの発見!
するとまた、陽の氣が強くなったように思えた。
それではと、光の儀式。
レイラインが現れるとともに、
一筋の光がご神木めがけておりてくる。
レイラインと龍脈のシンクロニシティ。
縦の線と横の線。
それは、天と地がつながった合図!
階段下の鳥居のところでは、
さすがにここまでエネルギーの強い場所だと思わなかった。
地の氣が強いところ、
天の氣も強く働きかける。
境内社
彌榮神社 ↓
牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。(Wikipediaより)
松尾大明神 ↓
龍王大明神 ↓
この辺りに地主神がいるようだ。
御頭御社宮司社 写真左側 ↓
諏訪地方に古代から伝わるミシャグジ信仰の社です。
ミシャグジ神は自然万物に降りて来る精霊とされています。(手長神社HPより)
ミシャグジ信仰
中部地方を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰(ミシャグジ信仰)で祀られる神(精霊)である。
長野県にある諏訪地域はその震源地とされており、実際には諏訪大社の信仰(諏訪信仰)に関わっていると考えられる。
全国各地にある霊石を神体として祀る石神信仰や、塞の神・道祖神信仰と関連があるとも考えられる。(Wikipediaより)
簡単に記したが、ミシャグジ信仰は奥が深い。
実際のところ、さまざまな説明を目にした。
しかし、石神信仰・塞の神・道祖神信仰と聞くと猿田彦大神に通じ、さらにはアラハバキ神へつながっていく。
なるほど〜と、納得!・・・というか、新しい情報!
その先に進むと、地主神に付き従うように、ズラリ居並ぶ末社。
山にある小さな八百万! 精霊たち。
末社前にある樹が精霊たちのメッセージを代弁しているようだ。
みなが一斉に喋り出す(氣を発する)ので、この辺りは賑やかだ。
末社の前の階段を降りて振り返る、
看板が立っているのに、氣が向く。
今年9月に、ここに一の御柱が建つという。
御柱!
諏訪大社の御柱祭りは有名だが、こちらでも!
手長神社式年御柱大祭が、今年9月にあるようだ。
山出し祭 9月18日(日)
里曳き祭 9月24~26日(土~月)
(手長神社HPより)
ところで、手長神社とアラハバキ神との関係は?
これまでと同じように確証は無いのだが、
間をとりもつように、ミシャグジ信仰を知ったことが大きい。
また、アシナヅチ・テナヅチの神名の諸説を見ていると、とても興味深い!
古田武彦は、「手名椎(テナヅチ)=「てのひら」のように拡がった地の港の神 足名椎(アシナヅチ)=「ア」は接頭語、「わが」の意。「シナ(中国)の港の神」 「足名椎」は、浙江省出身の「港の神」だった」
(『盗まれた神話』431~432頁、ミネルヴァ書房発行)とする。
田中英道は、アシナヅチ・テナヅチが諏訪市の足長神社・手長神社に祀られていることに注目し、足や手が長いのは日本人ではなくユダヤ系人物ではないかとしている。ちなみにナガスネヒコも同様にユダヤ系人物ではないかとしている。
神社関係者が物部の末裔との伝承を持つ氷川神社(埼玉県旧大宮市)の門客人神社は元々荒脛巾(あらはばき)神社と呼ばれ、謎の神アラハバキを祭る神社であるが、ここには何故かアシナヅチ、テナヅチの2神がアラハバキと共に奉られている。
物部の本来の祭神とも言われ、祟り神として神話に現れる三輪山のオオモノヌシが蛇神とされ、また物部の聖地であった大阪四天王寺の地にアラハバキ信仰の痕跡が残ることから、オオモノヌシ=アラハバキ説があるが、この氷川神社の謎からヤマタノオロチとアラハバキ、そして物部の関連が指摘されることがある。
(Wikipediaより)
土着神だという説、外来者という説、さらには三輪山の大物主神という説。
以前も同じような印象を受けたが、
アラハバキは、見る人・聞く人、近づいてくる人によって、見せる顔が違うようだ。
それでも、ちょっとずつつながっていっているのが面白い!