2022年6月14日。 射手座の満月。
聖なる愛 キリストエネルギーが、この世界を大きく包み込む。
この日のライトワークは、東京にある3つのキリスト教教会を巡った。
参加者様には、心より御礼と感謝を申し上げます!
集合は東京カテドラル聖マリア大聖堂。
地下鉄有楽町線・江戸川橋駅から、地図アプリに案内されながら向かう。
歩いたのは、目白坂。
坂に思い入れがあるわけではないが、下のような案内板は、歴史を垣間見るようで、面白い。
土地の名前は、地の氣の特質を表していることもあり、シンクロニシティが起きやすい。
もっとも、地名は、後世に変えられていることが多く、エネルギーラインが分断されているため、地の氣は元気がない。
えっちらおっちら歩いていると、右手に正八幡神社。
これから教会へ行こうとしているけど、神社へお参り!?・・・と、区別が出るのは人的意識。
ニワトリが先か卵が先かの話になるが、
教義が差別につながるのか、差別が数多の教義を作ったのか、
それがこの世界の分断と争いを大きくする。
そのため、あっちとこっちの間にある敷居が見えるまでは、輪廻の車輪はカラカラ回り続け、とことん分離を経験するのだろうな。
別の見方をするのなら、
キリスト教の教会を訪れる前に、八幡神社とは、これもまた興味深い。
光の兄弟姉妹たちは、こらから先、そのようにシンクロしてくるのだろうか。
正八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)
御祭神 品陀和気尊(応神天皇)
創建年代は不明である。別名を「関口八幡宮」ともいい、目白台の水神社にあった「椿山八幡宮」を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と呼ばれていた。関口地区の鎮守である。
江戸時代は洞雲寺(現在は豊島区に移転)が別当寺であった。(Wikipediaより)
そういえば、周辺には住宅、マンション、低層階のビルを見かけたが、人が歩いていなかったのが印象的だった。
ここもまた他に参拝客はおらず・・と、思ったら、おひとり女性がお参りにいらしたようだ。
静かな朝。
さらに目白坂を進むと、ひっそりとそこにあったのは、
幸神社(こうじんじゃ)
御祭神 猿田彦大神・稲荷大神
小さなお社。
脇にある樹のスピリットが呼ばなければ、通りすぎるところだった。
ところで、幸神社といえば、
京都で参った、幸神社(さいのかみやしろ)を思い出す。
同じく猿田彦大神がお祀りされていた。
猿田彦大神。
道開き・導きの八百万!
今日は、どこへ? どのように道を開くのだろうか?
正八幡神社で記述したが、以前、この辺りに水神社があったらしい。
一説には、「関口」というこの辺りの地名は、
奥州街道の関所があったという説、
神田上水の分水のための大洗堰あったという説があるという。
水神社は神田上水の守護神として祀られいた。
今は、そのような風景は見られないが、水の都・江戸。そんな言葉が浮かんできた。
地の氣とシンクロしながら、なんだかんだと考えながら、
間もなく、
東京カテドラル聖マリア大聖堂へ到着!
以前訪れた時は、外から教会の外観を眺めただけだった。
この日は聖堂内の見学!
内部撮影はNG。教会を見学するのは数えるほどしか無いが、ここはとても広く・ゴージャスに感じられた。
オルガンの調整日のようで、調子のハズれた音をBGMにしながら、静かな時間の流れとキリストのエネルギーの中に漂う。
30分ほ経っただろうか。
よっぱらそのエネルギーを堪能し、聖堂の外へ。
敷地内にあるのは、ルルドの洞窟。
フランスのルルドの泉に模しているらしい。
ルルドの泉
1858年2月11日。村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(フランスでは「ベルナデット」)が郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。
ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人を「あれ」(アケロ)と呼び、聖母とは思っていなかった。
聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。
ベルナデットが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。
そして、神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」という言葉であったという。
これによって当初は懐疑的だったペイラマール神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。
「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年である。
家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからである。
以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。
ベルナデット自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送った。
ベルナデットが見た「聖母」は、ルルドの泉に関して次のような発言をしている。「聖母」はまずベルナデットに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、彼女は近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルルドの泉の始まりである。
(Wikipediaより)
こちらのカテドラルにあるルルドの洞窟の前には、お祈りするためか、いくつかベンチが置いてある。
そこに腰かけ、清浄なエネルギーに身をひたす。
心が穏やかになったところで、2つ目のカトリック麹町聖イグナチオ教会へ向かう。
意識がどっぷりと霊的世界へ入り込んでいたようで、写真は0!
自分でも少し驚いている。
そういえば、聖堂で静かな時間を過ごしていたとき、自然と涙が流れてきた。
遠い記憶。前の生のことを魂は思い出していた。
聖イグナチオ教会には、3つの聖堂があった。
主聖堂
マリア聖堂
ザビエル聖堂
広さや装飾などの違い、そして、それぞれのエネルギーの違いもまた興味深い。
そして、気づいたことがあった。
聖堂を思い浮かべながら出てきた文字は、「礼拝堂」
繰り返すのは、礼拝堂。
教義によって、聖堂と礼拝堂の違いがあるのだが。
これもまた、時のスピリットが遠い記憶を運んできたのだろうか。
そんなことを考えていると、あの時には感じることのなかった小さな疼きを私の内側に見つけた。
これもまた、以前の生での経験。
どんなに小さなかすり傷でも、それは魂からのメッセージ。
2つの教会を歩き、いつものライトワークとの違いに気づいた。
自然神を祀られている神社を歩くと、意識は外へ向きやすい。
教会の場合は、意識が内へ内へと向いていく。
聖堂でおしゃべりは場違いではあるが、聖堂にてさまざまなエネルギーを感じていると、内側への旅に出かけやすい。
それもまた過去生が関係しているからだとは思うが、エネルギーの向きと動きが違うと改めて思った。
さて、いよいよ3つ目の教会。
こちらは、趣きのある建物。
キリスト教を信仰していない者としては、頭の中で描いていた想像通りの教会!
こちらでも聖堂の中に入らせていただき、静かな時間を過ごした。
神田教会の庭にあったイエス・キリスト像。
さらに奥の方へ行くと、溶岩と思われる中に、聖母マリア像。
溶岩 母なる地球と見たてるなら、母つながりだろうか。
6月の満月。聖なる愛 キリストエネルギーが大きくこの世界へ流れいる時。
巡ったのは、東京にあるカトリック系の3つの教会。
どこでも静かな時間を過ごすことができた。
そして、思いがけず内側への旅は、過去生の自分との再会や癒したり・手放す必要のある何かを見せられたかもしれない。
それぞれの経験。
それは、
共有することもできる。
はたまた、
じっくりと抱えていることもできる。
何を選ぼうとも、
この日のライトワークは、それぞれのタイミングで次の扉が開くためのきっかけになるだろう!
さて、教会を巡ったあとは、
ランチ&懇親ワークショップ、、
の、あとの、カフェタイム!
久しぶりに、クリームソーダ。
※特定の教義・団体に属しておりません。
※当サイトでのキリストエネルギーとは、特定の教義・人物を示すものではなく、大宇宙の聖なる愛のエネルギーを示しています。