江戸の鬼門・裏鬼門を歩くライトワーク!
鬼門にあたる東叡山 寛永寺から、裏鬼門 増上寺へ。
上野駅から山手線に乗り、浜松町駅で下車。
そこから歩いて10分のところに増上寺がある。
ところで、寛永寺あたりで猛烈な勢いで降っていた雨は止み。曇ってはいるものの、穏やかな空模様。
街のエネルギーもガラリと変わったことが、とても興味深い。
そんなことを話しながら、先に、増上寺からすぐのところにある芝大神宮へ参ろうということになり、そちらへ向かう。
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記憶にあるように、芝大神宮は、とても優しい氣が放たれていた。
芝大神宮のあと、いよいよ増上寺へ!
浄土宗の仏教寺院。山号は三縁山。
9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。
その後、室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が、実質上の開基といえる。
中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。
風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。(Wikipediaより)
ご本尊 阿弥陀如来・南無阿弥陀仏
三解脱門を抜け、境内へ。
すると、どっか〜んと大殿が見える。
ここは、広い!
大門から大殿本堂に至る道程は、穢土(えど・我々の世界)から極楽浄土に至る世界を表しています。
三門をくぐり、煩悩を解脱して、大殿へと向かうと、ご本尊である阿弥陀仏が鎮座し、西方極楽浄土の如き、西に位置している点が特徴です。
そのため、増上寺の大殿の荘厳は、極楽の世界を視覚的に表現した造りになっています。(増上寺HPより)
江戸の地名は、
「入り江の門(と)」など諸説あるらしいが、
「穢土」を「えど」と読むのも、興味深い。
大殿 ↓
昭和49(1974年)年、大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。首都圏では最大級の御堂で、石段を登りつめた二階に本堂、三階に道場、一階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室があります。
本堂のご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。(増上寺HPより)
大殿の中に入ることはできないので、外からのお参り。
大殿右後方からは、東京タワーが見える。
仏教寺院と電波塔。
何か、引っかかりがあった。
言葉には表現できない、何か・・・
大宇宙と小宇宙の関係。
このフィールドには、秘すられたものがあるように思えた。
大殿でお参りの後は、増上寺の境内をくまなく散策し、広さを体感した。
寛永寺・増上寺ともに徳川家霊廟があり、歴代将軍が眠りについている。
そのことは、江戸の守護となり、結界を強める役割と考えられた。
ふと、これより数日前に歩いた奈良県で思ったことを思い出した。
大和国家の成り立ち。
橿原神宮や飛鳥地方を歩いた。
その時見た地図には、古墳や古代天皇廟などが記されていた。
生と死の混在。
古代に生きた人びとは、礎となり、この国を、今の世を見守っている。
そう考えた。
古墳や廟は異世界へ通じる扉でもあり、この次元とは違ったエネルギーフィールドになっている。(幽霊などの俗信的なものではなく)
そういえば・・・
この春のこと、インナーネットで次のような記事を目にした。
それは、40年以上日本の社会学を研究しているというフランス人の社会学者が記したもので、タイトルが、
「なぜ日本人は“死者と対話”したがるのか? フランス人学者が「日本のシャーマン」に会ってみたら」
正確な表現では無いが、それは、この国は特定の教義への信仰が無いがゆえの特異性と、八百万文化について挙げられていたように記憶している。
死者が身近な国ニッポン
これは、記事の小タイトル。
死者といった方が分かりやすいのかもしれないが、アイルランドのケルト文化に通じるものがある。
この頃よく聞く「地政学」。
国際政治を考察するにあたって、その地理的条件を重視する学問である。
(Wikipediaより)
ということらしいが、その背後に見え隠れする八百万。
歴史上のどれほど多くの権力者が、力を授け、武運を祈り、盤石な政治基盤、安泰な国つくりを八百万の神々に願ったことだろう。
実は、日本そのものが、狭間にあり、
そこに住まう人びとは、「つなぐ」役割が課せられているのだろうか。
天と地を
地と冥を
東と西を
北と南を
隣あうもの、
相反するもの、
それらをつなぐ
しかし、困難なことがある。
狭間にあるということは、
どっちつかずで、
交差点のど真ん中にいるようなものだ。
あっちとこっちのエネルギーの流れのど真ん中。
それぞれの流れに翻弄され、混乱し、
自分自身を見失いやすい
自分軸を作りにくい
あっちに行きたいけど、どうやって?
そのような状態にもなりやすい。
だが、それに気づけば、
どのようなエネルギーの流れにクルクル回り、浮き沈みしているのかを知り、
自ずと課題もみえてくる。
さて、増上寺のライトワークが終了し、
前面にあった霊的意識と後方の人的意識の入れ替え&懇親のため、カフェへ!
増上寺から最も近いところへと思ったが、満席状態。
引き寄せられるように、東京タワーへ!
真下からの、撮影!
東京タワーと第7チャクラが交流し、無意識のうちに、「なにか」を受信していたかも!
江戸の鬼門と裏鬼門。
ひとつの包括的なライトワークと考えていたが、前半と後半では、全く違う様相となった。
前半は、闇に光を! ライトワークの真髄ともいえる内容。
後半は、宇宙から愛を込めて! 新しい地球に向けてのメッセージ!