ライトワーク
祈り
狭間の世界を歩く
天の氣・地の氣。
異世界・異次元
様々なスピリットとの交流とシンクロニシティがなされる。
5月。
いにしえの都を歩き、時の彼方から戻った後のライトワークは、江戸城(皇居)の鬼門・裏鬼門を守護する、寛永寺と増上寺。
参加者様には心より御礼と感謝を申し上げます!
寛永寺。正式名称は、東叡山 寛永寺。
寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。
寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。
後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。
しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。
また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、開かれたお寺としての役割を果たすことを目指しています。
山号は「東の比叡山」の意、寺号は寛永年間に創建されたことによります。
比叡山延暦寺を見立てています。
ご本尊は、薬師瑠璃光如来。
比叡山延暦寺の根本中堂のご本尊と同じく、伝教大師最澄さまが自ら彫られたと伝えられています。
脇侍の日光菩薩・月光両菩薩は、慈覚大師円仁さまが自ら彫られたと伝えられています。
(以上、寛永寺HPより)
東京でのライトワークは、江戸城(皇居)を中心とした内容が多い。
皇居のエネルギーがそれだけ大きく強いのか、それとも、天海大僧正が施したとされる江戸の結界が未だ効き、それに引き寄せられているのだろうか。
なるほど、まるで天海大僧正の意識とシンクロし、歩いているように思える時もある。
皇居を真ん中に、今回のキーワードは、鬼門・裏鬼門。
鬼門とは?
北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位・方角のこと。
日本では古来より鬼の出入り方角であるとして忌むべき方角とされる。
東北鬼門の考え方は中国から伝播したものの、日本独自に発展している。
陰陽道が日本に伝わり日本の神仏習合思想と深く関わりをもつことで、日本独自の家相の発展とともに鬼門の観念も発展してきた。
陰陽道の最盛期といわれる平安時代中期頃から、病気や疾病、地震、火災、天災など、そのすべてを神の祟りが起こすものと考えられ、祟りを起こす神の存在を鬼に例えて恐れたことが大きな理由とされる。
鎌倉時代前期に著された「陰陽道旧記抄」に「竈、門、井、厠、者家神也云々」とあり、竈、門、井戸、厠など、病気に直結する場所を神格化させ、諸々の宅神から祟りをうけぬよう祭祀を行っていた歴史があり、鬼の門と名の付く北東方位を他の方位方角より恐れる方位になった。(Wikipediaより)
裏鬼門とは?
鬼門とは反対の南西(坤・未申)の方角。
この方角も鬼門同様、忌み嫌われる。北東(艮)を「鬼門」、南東(巽)を「風門・地門」、南西の裏鬼門を(人門・病門)、北西を(天門)とし、それぞれの四隅の方位・方角の陰陽道上の門の名である。(Wikipediaより)
時代とともになのだろうか、鬼門は科学的根拠もなく、迷信という説もある。
そうかもしれない。また、そうではないかもしれない。
立ち位置、見る方向によっては、見える景色は違う。
なぜ人によって、立ち位置や見ようとする方向が違うのか?
そこには霊的バックグラウンドがある。
この国は、あらゆるものを神と呼び、禱り、祈願し、力を与えた。
八百万の神々
やがて、それは、様々な都合により、足したり引いたり、再構築。
多くのアバターが作られた。
大宇宙的に、それは人の功罪だ。
この国の人と八百万の深い関係。
それもまた、新しい地球への移行とともに、変わってくる。
さて、江戸の鬼門・裏鬼門ライトワーク。
集合は、鶯谷駅。
この日は朝から曇り空。お昼前後には雨が降る予報。
関西ライトワークから戻って間もなく。
日常でも意識は異世界にあるような、未だ古代のエネルギーとシンクロしている感覚が続いていた。
それはまるで、私が現代と古代をつなぐトンネルとなり、エネルギーを交流させているようだ。
そこには大きな龍神も含まれている。
寛永寺に向かって歩き出してすぐ、雨が降り始めた。と、思ったら、
急に激しくなり、
すぐに、
土砂降り・・
靴も身体もずぶ濡れ。
唖然。
なんじゃこりゃ〜〜〜 ((((;゚Д゚)))))))
駅から寛永寺まで、道に迷った時間を含めると15分くらいだろうか。
雨の勢いに。ただ驚きながら歩いていた。
天の氣・地の氣・人の氣のシンクロニシティが、瞬間瞬間の現象を作り出す。
雨・天・あめ・アメ
当たり前の話だが、このフィールドは、天の氣が主導している。
寛永寺に到着するまでに、墓地のそばを通る。
空模様と相まって、陰の気・水の氣が大きくなり、感情を刺激する。
雨は浄化!と、思ってみても、一方では、濡れて冷えた体をどうにかしたいとも考える。
そうこうしているうちに、寛永寺到着!
想像していたよりも、境内は小さい。
「上野のお山」は、今は昔。
幕末からこっちは、上野公園となったというのが上述の話。
しかし、全体的にみると、お山のあっちこっちにお寺や弁天堂などが配され、以前の宗教的な匂いを醸し出している。
それでは、寛永寺根本中堂へ参らせていただこう!
靴を脱ぎ、根本中堂へ。
想像していたより、広くはない。
そして、想像していたより、美しい仏像。
雨に降られ、収縮していた身体が和んでいく。
大雨のせいもあり、参拝客も少ないので、しばし、その場でゆるりとする。
しかし、それも長くは続かず。
内側に急かされるような感覚がある。
この度のライトワークの目的のようのものが見え隠れする。
光が必要な場所・・・
雨も小止みにやったようなので、根本中堂の外へ出てみる。
すると、驚いた!
そこには雨宿りする大勢の人びとがいた。
ふと、イメージが浮かぶ。
江戸の時代も、その後も、
火事だ、地震だ、戦だと、世情不安の時、市井の人びとは、ここに集まり、ひと時の慰めを求めたのではないだろうか。
そんなことを思いながら、私の内側からやって来た急かされるような感覚を頼りに、ライトワークの目的らしきものを境内に探す。
すると、小止みになっていた雨が、急激に強まった。
このライトワークは、雨が主役のようだ。
雨・天・アメ・あめ・・・
アメノミナカヌシ
天海大僧正
2つの言葉が私の中でシンクロする。
境内のあっちこっちと見て回るが、今ひとつ、ピンとこない。
すると、見せられたのは、上野のお山の全景。
「地主神に愛に行こう!」
おっと、少し前から馴染みのフレーズが、頭の中で鳴り響く。
地主神?
上野の地主神?
暴力的な表現ではあるが、
東京は完膚なきまでに、開発されている。
地主神と言っても・・。
しかし、目に入ってきたのは、不忍池。
氣になる・・・
そこに意識をフォーカスする。
いた!
泥の中に、それっぽいのがいるようだ。
元気がない。
波動が下がっている。
実はずいぶん昔から、私は、不忍池が苦手だった。
エネルギーレベルが下がっている。
それを現すような、不忍池。
ここか〜。
寛永寺から不忍池までは、少し歩く。
お天気良好ならいざ知らず、今日は土砂降り。
どうしたものかと、参加者様と逡巡。
行くか、行かないか、結論が出ないまま、
じゃあ、早めのランチにしようということで、
一路、上野公園方面へと向かった。
老舗の精養軒に落ち着くと、
なんと、すぐそこが不忍池だと気づく。
天の氣のサポートのもと、ライトワークの真髄。
闇に光を
闇を折りたたみ、光へと変性する。
天と地をつなぐ者は、
光を最も純粋な状態で媒介する。
そのために、自分自身を純粋にし続ける。
ランチの後、不忍池のそばに建つ弁天堂を目指した。
ところで、お気付きのように、上野のお山で撮影した写真はひとつ。
土砂降りで撮影しにくかったという人間的事情もあるが、霊的には、それだけではなかったと思う。
異口同音。
上野のお山のエネルギーの乱れに氣が向いた。
時代の変遷。
江戸の鬼門という、そもそもの役割の任は解かれようとしているのか、
それとも、大宇宙の法が破られているからだろうか。
大宇宙とのつながりが切られていると、
エネルギーが降りてこない。
結果、そこにあるスピリットのエネルギーレベルは落ち、その場所は不穏な状態となっていく。
ちぐはぐしたエネルギーを学び、
裏鬼門・増上寺へと向かう。