奈良 吉野山での魂のトレーニング。
金峯山寺から勝手神社を経て、吉野水分神社を目指す。
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途中には神社仏閣もあり、見どころ満載。
せっかく吉野山を歩いているのだからと、目に入ったところに立ち寄ろうかと思ってみたものの、足が向かない。
体力温存。
そのような意識も湧き上がる。
関西に来て歩きどおし、もちろんホテルに戻ってから脚のマッサージに余念はないが、不思議と筋肉痛など前日の疲れは持ち越さず、朝になると、ケロリと元気になっている。氣の高い場所にあって、修復も早いようだ。
とはいっても、疲れのペースは早まっているのも感じる。
この先、吉野水分神社・金峰神社を目的にし、下山時に余力があるなら、その他神社仏閣を回ろう。
魂グループの短めのミーティングでの決定事項。
勝手神社から、徐々に民家も少なくなっていく。
ぐるーんぐるーんと舗装された坂道を上ると、視界も変化していく。
あ〜 今、吉野の山の中にいるのだな〜と感慨深くなる。
その途中も、出会ったひとは、2人くらいだったろうか。見た人という表現の方が正しいが。
朽ちた木にお祀りされていた石碑が素朴でとても良かった。
吉野山は日本一の桜の名所といわれている。
桜の季節に来たなら、花も人もおお盛り上がりなのだろうと想像しながら、微妙な角度の坂道を上り続けた。
やがて、吉野山の上千本という地域に到着した。
ここには数軒のお宿もあるようだ。
・・・が、しかし、人が見当たらない。
アニメやドラマであるような、異次元・異世界ポケットに入った状態。
時空の流れがいくつも存在していて、別の時空には、人も車も動物も存在しているかもしれないと考えると面白い。
私は、私と吉野山にある八百万がシンクロし、出来上がったフィールドを歩いている。
そして、吉野水分神社に到着!
圧倒的な水の氣。
陰の氣に満ち、神社全体を覆う。
そして、魔力的と思えるエネルギーを発している。
吉野水分神社
創建年代については不詳である。当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日の条で、「馬を芳野水分峰神に奉る。雨を祈ればなり」とあり、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述である。
元来は吉野山の最奥部、青根ヶ峰の山頂に位置していたとされ、その山頂から西北約1kmの山腹には元・水分神社跡と伝わる場所が残っている。大同元年(806年)頃に現在地へ遷座した。
葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社と共に大和国四所水分社の一つとして水の神を祀り古くから信仰されてきた。
約700年前の室町時代より当社境内で御田植神事が行われているが、神社がある吉野山では水田が無いにも関わらず神事が行われるのは、里に水を行き渡らせる「水分」の神が祀られているからである。また「みくまり」が「みこもり」となまり -「御子守り」として、平安時代中期頃から「子守明神」と呼ばれるようになり、藤原道長の日記『御堂関白記』や清少納言の『枕草子』にも「子守明神」として登場してい。
また、道長は寛弘4年(1007年)に、金峰山山上の子守明神に金銀五色等を奉ったと記録に残こり、当時の権力者からも崇敬を受け子授けの神が信仰を集めていたことが分かる。
12世紀ごろには神仏習合により、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ(子守権現)、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する神社として修験道の行場の一つとなっていた。
(Wikipediaより)
楼門 ↓
境内へ。
社殿は、コの字に配置されている。
鬱蒼とした樹々に囲まれた境内。
水っぽさが半端ない!
御祭神
本殿
正殿 天之水分大神
右殿 天津彦火瓊瓊杵命・玉依姫命・天萬栲幡千幡比咩命
左殿 高皇産霊神・少名彦神・御子神
境内社
大神社 天之久比奢母智命・高龗神・国之久比奢母智命
柴神社 大己貴神・少彦名神
(Wikipediaより)
自然界の八百万が強い!
人は、このエネルギーに怖さや不思議さを感じることもあるかもしれない。
人の氣が無く、
ちょうど自然界のエネルギーがぐいぐいと強まる時期もあって、
ここ全部が異世界のようだ。
子守大明神 ↓
さまざまなものに時代を感じた。
それもあるのだろうな。
境内にいろんなエネルギーが混じり合い、表出されている。
吉野水分神社
なんとも表現しがたい氣を現している。
陰気で重いといえるだろうし、
しかし、生物にとって、無くてはならない氣をつくりだしている。
そして、地球をカタチ作り、人間と深くムスビついているものだ。
陰・水・母の様相・・
不気味かも〜と思いつつ、でも、なんとなく落ち着くような・・・
参拝する人も来ないので、 休憩しながら、次の予定を立てよう。
また、水分神社の八百万スピリットと交流が始まった。
そうだ、この氣は、厳しさだ。
人を容易に寄せ付けようとはしない、厳しさがあるのだ。
怖い、不気味だ、厳しいなど、頭の中でネガティブワードを連発しながら、案外ここが落ち着き、のんびり休憩し続けた。
もういいんじゃない?と、魂グループからのメッセージだったのか、登山客らしき年配の男性が一人、楼門のところに現れた。
そこで手を合わせ、写真を撮り、すぐに姿を消した。
水分神社が目当てだったわけではないのだな。
さて、そろそろわたしも次に参ろう!