奈良県明日香村を歩く。
岡寺の次にやって来たのは、石舞台古墳。
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石舞台古墳
古墳時代後期の古墳。国の特別史跡に指定されている。
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。
埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。
墳丘は現在失われているが、下部は方形で、20-50センチメートル大の花崗岩の貼石を約30度の傾斜で積み並べられていた。
墳丘の周りに幅5.9-8.4メートルの空堀がめぐり、幅約7.0メートルの外堤が設けられている。
外堤を復元すれば一辺約80メートルで、高さは約1.2メートルである。
埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、西南方向に開口している。花崗岩で作られた石組みである。
石室内部には排水施設がある。約30の石が積まれ、その総重量は2300トンに達すると推定されている。
石は古墳のかたわらを流れる冬野川の上流約3キロメートル、多武峰のふもとから運ばれた。
石室はすでにほとんどの埋葬品が盗掘に遭った後であり、石棺の欠片等が発見されるに留まった。
羨道部と外堤から土師器と須恵器や銅の金具などが見つかり、時代が下る宋銭や寛永通宝も出た。
(Wikipediaより)
以前から興味のあった石舞台古墳は、岡寺から歩いて10分ほどのところにある。
そこまでの通りは、控えめではあるが観光地の様相だ。
石舞台古墳の近くまで来て、ようやく記憶が蘇る。
ずいぶん前だが、私はここに来たことがあった!
ま、いいか、もう一度、見てみよう。
案内版には、予想される石舞台古墳の作られ方が紹介されている。
石です。
石です。
反対側から見る。
内部にも入れるようになっている。
氣が向いた。
あれはなんだ?
引き寄せられるように、その場所へ向かう。
どうやら、棺らしい。
石棺。
埋葬されたのは、蘇我馬子説が有力らしいが。
石棺のあるところから、石舞台古墳を眺める。
古墳のある場所は、広々として陽当たりが良い。
一方、石棺のある場所は、そこからエネルギーが隔てられているように思えた。
だからなのか、ほとんどの人は、石棺を見ずに帰っていく。
古墳は、陽。
石棺は、陰。
古墳は、この世。
石棺は、あの世。
そんなイメージが湧き上がった。
石舞台だけを見ていると、古墳! 石! で、意識が広がることはないが、少し、離れた場所から眺めてみると、俯瞰して見るとというのか、これまでとは違った印象を受ける。
この地全体のエネルギーが、「なにか」を伝えてくる。
古代から、
石は、八百万の依り代であり、さまざまな祭祀儀礼の道具としても使われてきた。
ここは、古墳。
狭間にある場所。
異世界・異次元への入り口。
天と地の八百万がそう決めた。
華やかな舞台から引き下ろされたようにひっそりとある石棺から、微かな異世界のエネルギーが放たれている。
時空を超え、この時代にシンクロしてきたのには、なにか、大切なメッセージがあるように思えた。
記事公開日は2022年6月19日 。
奇しくも、記録に残る蘇我馬子の没した日とされる。
間もなく夏至。
天と地がつながり、異世界・異次元のの入り口も見つけやすい。
さまざまなエネルギーが交差し、この世界に影響をおよぼす。
石舞台古墳から出ると、急に疲れを感じた。
周辺にあるお店でひと休みしようとキョロキョロ。
「あすかルビー」といういちごのソフトクリームの看板に惹かれた。
明日香の特産のようだ。
甘さと冷たさが体に染み渡る〜。
すると、いっきに人的意識に戻っていく。
あすか野ログハウス(食べログより)
ということで、本日は、これにてミッションコンプリート!
ホテルに帰ろ。