奈良県明日香村を歩く。
飛鳥寺から次に参ったのは、飛鳥坐神社。
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飛鳥坐神社
ご祭神
八重事代主神 記紀神話において大己貴神の子
大物主神 大己貴神の和魂とされる
飛鳥神奈備三日女神 加夜奈留美神とも伝えられ、大己貴神のの娘であり、高比売神、下照姫神、髙照光姫神とも言われる
高皇産霊神 造化三神として神話の冒頭に登場し、天照皇大神と共に天上界を主導
(飛鳥坐神社HPより)
ご由緒
当社の創建は定かではありませんが、日本書紀において、大国主神の第一子である当社御祭神の八重事代主神は、国譲りの際、一番に信頼のおける神様として大国主神より相談を受けられました。その結果、国譲りがなされ、その後、八十万の神々を率いて、天の高市〔あめのたけち〕(現在の飛鳥)に鎮まったことが記されています。統率される神様、いわゆる首渠神〔ひとごのかみ〕として鎮座されております。
(飛鳥坐神社HPより)
また、当社地が天照大神を初めて宮中の外で祀った地「倭笠縫邑」であるとする伝承もあり(有力な説は大神神社摂社の檜原神社である)、近世には元伊勢とも称していた。
(Wikipediaより)
私が参った時には他に2組の参拝客があったが、飛鳥坐神社の最初の印象は、ミステリアス。
全体的にひっそりと静か。そして、何かがジッと隠れているような、来る者を見定めているような、そんな感覚が湧き上がる。
以下の写真では分かりにくいが、鳥居手前には、「飛鳥井」という井戸がある。
古来より湧き出る霊水という。
催馬楽では次のように謳われております。
「飛鳥井に 宿りはすべし
おけかけもよし 御水もよし 御秣もよし」(飛鳥坐神社HPより)
ちなみに催馬楽とは、平安時代初期、庶民のあいだで歌われた民謡や風俗歌の歌詞に、外来の楽器を伴奏楽器として用い、新しい旋律の掛け合い、音楽を発足させたもので、9世紀から10世紀にかけて隆盛した。隆盛の例としては、醍醐天皇の時期に、催馬楽と管絃を合わせた音楽体系が一定の様式に定まり、天皇や公卿・殿上人が演奏者として合奏や唱歌を楽しむ「御遊(ぎょゆう)」が宮廷で催されるようになったことである。(Wikipediaより)
では、参ってみましょう!
本殿・拝殿 ↓
神社の方はいらっしゃらないようだったが、ご本殿等は、整えられていた。
静かで、落ち着く。
空気・エネルギーとも居心地が良い。
陽石信仰
境内の至る所に陽石がみられます。立派な陽石を磐代〔いわしろ〕として山の神を迎えることによって、暖かな春が来ることを祈る信仰です。
産石〔うぶいし〕信仰
安産祈祷では、産石を授与致します。その石にその家の守護神をお迎えします。
産後、初宮詣で産石にお子様のお名前と生年月日を記入し、お子様に握っていただいた後、御神前に据え、末永く見守っていただきます。
(飛鳥坐神社HP)
陽石とは?
男性器の形をした石。豊穣・多産の象徴として民間信仰の対象という。
産石とは?
(コトバンクより)
むすひの神石 ↓
拝殿・本殿から奥へと向かう。
すると、ここからまた氣が変わったようだ。
お社がいくつも並んでいる。
八十萬神社 ↓
白髭神社 ↓
中の社 八阪神社・金比羅神社 ↓
ご祭神 須佐之男神・大物主神
さらに奥へと進む。
氣が変わる。
地主神フィールドに入ったようだ。
そういえば、神社に到着した時には私の他にも数人の参拝客を見かけたが、ここに来て、誰もいなくなった。
異次元・異世界へと入ったようだ。
静まりかえる世界。
流れが止まったようにも思える。
奥の社 皇太神社 ↓
ご祭神 天照 皇大神・御皇産霊神
面白いと思ったのは、太陽神とされる天照皇大神のお社が、とっぷりとした森の奥深いところ。
参った時間帯もあるかもしれないが、ここに陽が射すのだろうか。
パワースポットにありがちな、不安になるくらいに水の氣が多い。
飛鳥山口神社 ↓
ご祭神 大山都見乃神・久久乃知乃神・猿田彦乃神
境内をゆっくりとひと回りし、そろそろお暇しましょうと思った矢先のことだった。
目に入ったのは、草に覆われた井戸。
今は使われていないのだろうが、氣が向く。
短めに手を合わせる。
ミステリアス。
最初に飛鳥坐神社を目にした時にもった印象だ。
まるで大きな山にある八百万のように、静かで、何もかも抱え込むような、威厳ある佇まいには、畏怖の念さえわく。
男性的であり、それでいて、水の氣を強く感じるのには、女性的でもある。
ご祭神を思い出してみれば、それも納得。
大物主神に、飛鳥神奈備三日女神。
高皇産霊神の産霊。
古代国家がここに結ばれたのも理解できる。
ここに坐する八百万のエネルギー無くして、それは成されなかったろう。
大きな山のエネルギーを今なお発する飛鳥坐神社を後にし、次の目的地と決めた岡寺へ。
地図アプリの案内で歩を進めていると、道沿いで見つけたのは、藤原鎌足の母とされる大伴夫人の墓。
ひっそりと今の世を見守る古代人の魂に、フッと呼び止められたようだ。
さらにその先に進む。
すると、大化の改新の中心人物・藤原鎌足の生誕地で、鎌足をお祀りしている大原神社がある。
藤原鎌足の生湯の井戸もあるというので、お参りしてみようと境内へ。
ここもまた、ひっそりとしている。
井戸は?と、思ったが、草が多くて見つけられず。
すぐに気持ちを切り替えて、次へ参ろう!
あいかわらず、穏やかで優しい氣が流れる。
この地のエネルギーと調和しながら、目的地の岡寺を目指す!
気づいてみれば、明日香へ到着し、道を歩いている時は、全く人と出会うことがない。
そういえば、
「〜日本で唯一、全域が古都保存法対象地域の自治体である。また、村全体の世界遺産登録に向けた計画が具体化している。」(Wikipediaより)と、あったが、観光客には素晴らしいと思えることでも、日常となると、それはそれで不便なこともあるのだろうな〜と、思うところもあった。
そして、岡寺へ!