橿原神宮の次は明日香村へ参ろうと決め、橿原神宮前駅へ戻った。
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駅東口からは、明日香周遊バスが出ているらしいので、それで参ることにした。
しかし、明日香村は見どころ満載。
まずはどこにしようか?
氣が向いたのは、「飛鳥寺」。日本で初めての本格的な寺院という。
ここにしよう!
明日香村
中央集権律令国家の誕生の地であることから、飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されていることで知られ、「日本人の心の故郷」とも紹介される。日本で唯一、全域が古都保存法対象地域の自治体である。また、村全体の世界遺産登録に向けた計画が具体化している。
(Wikipediaより)
明日香村観光と思える複数のグループを乗せ、バスは発車。
なんとなく修学旅行の時のように、心がうき立つ。
間もなく、のんびりとした田舎の風景が見えたきた。明日香村だ。
一人のバス乗客が言った言葉が耳に届いた。
「この風景を見えているだけでもいいわね〜」
全くその通りだ! 私も心の中で頷く。
バスの窓の外に広がる風景は、日本でなら、どこにでも見かける。
首都圏でさえ、郊外に車を走らせれば自然豊かな場所がほとんどだ。
しかし、今、私が体感している「氣」「エネルギー」は、ここでしか味わえない。
大宇宙は、日本という国家の始まりをここに定めた。
国家のアイディンティティ。
そんなことを考えながら、風景を楽しむ。
途中、ずいぶん昔に読んだマンガの中の聞き覚えのある土地の名前が停留所案内のアナウンスで流れた。
それを聴きながら、「帰ってきたな〜」という想いが湧き上がるのがまた面白い。
時空を行ったり来たりしながら、郷愁を味わい。
やがて、バスは、飛鳥寺のある飛鳥大仏に到着!
地図アプリの案内で目的地を目指す。
途中に以下の案内を見つけた。
飛鳥寺
飛鳥坐神社
飛鳥坐神社というのがあるんだ〜と、自分にインプット。
バス停から10分歩かないところで、飛鳥寺到着!
周辺は畑。静かな場所にあった。
飛鳥寺 (奈良県観光公式サイト なら旅ネットより)
飛鳥寺(法興寺)は蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院である。
『日本書紀』によると、法興寺(飛鳥寺)は用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が建立を発願したものである。馬子は排仏派の物部守屋と対立していた。馬子は守屋との戦いに際して勝利を祈念し、「諸天と大神王の奉為(おほみため)に寺塔(てら)を起立(た)てて、三宝を流通(つた)へむ」と誓願し、飛鳥の地に寺を建てることにしたという。
飛鳥寺には複数の呼称がある。法号は「法興寺」または「元興寺」(がんごうじ)であり、平城遷都とともに今の奈良市に移った寺は「元興寺」と称する。一方、蘇我馬子が建立した法興寺中金堂跡に今も残る小寺院の公称は「安居院」(あんごいん)である。(Wikipediaより)
本堂 ↓
それでは、本堂内へ!
ご本尊は、日本最古とされる飛鳥大仏・釈迦如来蔵。
昨日はお釈迦さんの誕生、悟りを開いた日、入滅の日のお祭りであるウエサク祭が開催された鞍馬山へ参ったこともあって、いつもより身近に感じられた。
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飛鳥寺のご住職なのか、お参りされている方々にお寺の歴史などを話されているところにちょうどかち合った。
心にスーッと入ってくるようなお話のされ方が耳に心地よい。
「歴史の流れの中で、こちらのお寺は何度か名前を変えることがあったが、変わらずここにある。昨今、疫病や他国の戦争のニュースで心が疲弊してしまいそうだが、少しの時間でも日本人の魂ともいえる明日香村の景色に癒されてください」というようなことを語られていた。
あっちこっちのお寺で説法を聴かせていただくことがある。良い説法はそれもまた魂への刺激になるのだろうな。
歴史を知らなければ通り過ぎてしまいそうな田舎の小さなお寺さんは、この地と相俟って、不思議なパワーを秘めていた。
さて、本堂内でのお参りを終え、退出。
決して広いとはいえない境内だが、綺麗に整えられている。
あっちこっちと見て回る。
思惟殿 ↓ 聖観音を祀る。
沙羅の樹 ↓
沙羅の樹といえば、沙羅双樹の言葉で知られる樹。
沙羅双樹とは?
沙羅樹は神話学的には復活・再生・若返りの象徴である「生命の木」に分類されるが、仏教では二本並んだ沙羅の木の下で釈尊が入滅したことから般涅槃の象徴とされ、沙羅双樹とも呼ばれる。
釈迦がクシナガラで入滅(死去)したとき、臥床の四辺にあったという、4双8本の沙羅樹。
時じくの花を咲かせ、たちまちに枯れ、白色に変じ、さながら鶴の群れのごとくであったという。
以上のように伝本により木の本数には異同がある。しかし、いずれにせよ「双」は元々の樹木の名に含まれておらず、二本もしくは二本組ずつになった木の謂である。(Wikipediaより)
「塔心礎中心」の立て札に氣が向いた。
創建当時の飛鳥寺は、日本最初の本格的仏教寺院で、現在の約20倍もの敷地があったようだ。
塔を中心に、東・西・北に3つの金堂を配置し、回廊が廻らされていたという。
そして、飛鳥寺を中心に天皇の居所などが決められていたらしい。
塔心礎中心とは、飛鳥寺の中心であり、いわば当時の日本の中心といえるのかもしれない。
真神原の眺め
「〜日本文化のふる里である古都飛鳥のこの風景には古代百済や新羅の人びとの望郷の念が禁じえない」 住職謹記
真神原とは?
現在の奈良県明日香村飛鳥の中央部にあった原野をさす古代地名。《万葉集》に,〈大口の真神の原〉とうたわれているから,かつては真神すなわちオオカミのすむような原野と意識されていたらしい。《日本書紀》雄略7年条には,新漢陶部(いまきのあやのすえつくりべ),鞍部,画部,錦部を,桃原と真神原に住まわせたとみえる。真神原とは,飛鳥寺周辺の低湿地をさし,この地に,崇峻1年,飛鳥衣縫造の祖,樹葉(このは)の家を壊して,飛鳥寺の造営が始められた。(コトバンクより)
ちなみに、真神とは?
狼(ニホンオオカミ)の古名や異名、「まことの神」、「正しい神」を指す言葉。大口真神(おおくちのまがみ、おおぐちまかみ)、御神犬とも呼ばれる。
日本に生息していた狼(ニホンオオカミ)が神格化されたもの。真神は古来、聖獣として崇拝されてきた。
また、猪や鹿から作物を守護するものとされた。人語を理解し、人間の性質を見分ける力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。また、厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。
大和国(現在の奈良県)にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、その獰猛さから神格化された。
(Wikipediaより)
古代の人びとが見た風景とは、かなり違うのだろうが、
飛鳥寺のお参りを終えてから見た明日香村の風景は、私には、それより前とは何か違って思えた。
今度は徒歩で、
明日香村をのんびり歩きながら、来た時に自分にインプットしておいた、飛鳥坐神社へ向かう。