ライトワーク🌟 5月の満月 ウエサク祭 天地の狭間で人類の平和と目醒めを祈る! ところで、目醒めとは?  鞍馬寺_貴船神社・京都

2022.6.7  Chikako Natsui
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人類の平和と目醒めを祈るウエサク祭。

今年はライトワークと合わせて鞍馬山へ参った。

 

参加者様には心より御礼申し上げます!

 

ウエサク祭とは?

満月の宵に人類のめざめと平和を願って行われる儀式

鞍馬寺は宝亀元(770)年 、鑑真和上の弟子・鑑禎上人が毘沙門天を祀ったことに始まる。鞍馬山には、牛若丸が天狗と修行したという伝説が残る。 「五月満月祭」は、天上と地上の間に道が開けて強いエネルギーが降り注ぐという五月の満月の宵に行われる。鞍馬山に祀られる本尊尊天に、人類のめざめと世界平和を願って参加者全員で祈る。暗闇の中、参加者が手にする灯明がいっせいに捧げられる光景は幻想的。ウエサク祭の儀式の始まりは古く、ヒマラヤ山中や東南アジアにも同様の祭があるという。当日は多くの人が山上に集う。
(京都観光オフィシャルサイト 京都観光Naviより)

 

 

今年の満月は、5月16日 13:15。そのため、前夜5月15日に開催された。

残念ながら、昨今の感染症拡大の懸念もあってか、儀式への一般参加はならず。職員の方のみで執り行わるとのことだった。

しかし、ウエサク祭当日の鞍馬山のエネルギーは、言葉では表現しにくい独特なものがある。

それは、「天上と地上の間に道が開けて強いエネルギーが降り注ぐ」からだろうか。

 

ならば、天地の通り道でそのエネルギーに刺激を受けたならば、人はより一層目醒めやすくもなるだろう。

 

そこで、この日に合わせてライトワークを予定した。

 

天と地の通り道

見えざる光の兄弟姉妹たちのエネルギーを身近に感じ、援護を受けて、鞍馬山を歩く!

 

そうだ! 尊天に愛にいこう!

 

尊天とは?

鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという(Wikipediaより)

 

 

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集合時間は、9:30。

地下鉄烏丸線とバスを乗り継ぎ、鞍馬寺の仁王門前へ到着!

 

そこでは、他県ナンバーの車が次々と駐車場へ入っていくのを目にした。去年とは違う。

関東圏のナンバーも目立つ。

感染症の罹患数が減っていることもあり、ウエサク祭の鞍馬山を参りたいと思う人びとも多いのだろう。

また高い次元にあるマスターたちも、次の地球へ向け、激動を迎えるこの惑星から、多くの魂を救済したい、目醒めさせたいという意図が働いている。

 

さて、鞍馬寺へ向かって! ライトワーク・スタート!

 

鞍馬寺

 

 

 

 

 

いよいよ鞍馬山へ!

 

 

 

鞍馬山はどのような季節に参っても気持ちが良い!

 

以前は陰の氣が強く、恐いと感じることもあったが、自分の変化でそれも無くなった。

さらにこの日はウエサク祭。高い次元のエネルギーが御山を包み、集った大勢の人の氣の相乗効果ともいうのだろうか、いつも以上に鞍馬山が優しいエネルギーになっているようだった。

 

 

九十九折り参道を徒歩で本殿金堂を目指す。

すると、途中には、さまざまなスピリットと遭遇! 見どころ満載の鞍馬山。

 

魔王の足元では、龍神や荼枳尼天などが修行中。ならば、と、ご挨拶。 お邪魔します〜。

 

 

吉鞍稲荷社 ↓

 

 

 

鬼一法眼社

2018年の台風被害で、崩れてしまった模様。

 

 

 

お社も撤去されている。

在しますスピリットはミッションコンプリート。お役目終了か。

 

ところで、鬼一法眼とは?

室町時代初期に書かれた『義経記』巻2に登場する伝説上の人物。「法眼」とは僧侶に対する尊称であって、名前ではない。
京の一条堀川に住んだ僧侶の身なりの陰陽師法師。『六韜』という兵法の大家でもあり、文武の達人とされる。源義経がその娘と通じて伝家の兵書『六韜』を盗み学んだという伝説で有名。また剣術においても、京八流の祖として、また剣術の神として崇められている。
(Wikipediaより)

 

 

スピリットが移動したり、引き上げてしまっているのなら、お社も無くなるのは至極。

しかし、お社だけが残って、住人が変わっているケースも、ままある。
空き家をいいことに、波動の低いものが棲家にしてしまう。
そんな時は、お参りしても、誰に挨拶しているんだろう?と、何かチグハグな気持ちになる。

 

また、鬼一法眼社から上を見あげると、そこにあったのは、魔王の滝。

だが、こちらも鬼一法眼社同様、台風被害によって、現在水は流れていない。

スピリット、しばし休憩中?

 

 

九十九折り参道を進み、由岐神社へ到着。

 

由岐神社

 

こちらは、鞍馬の火祭りが開催されるのでも有名。

 

子授や安産にご利益があるというので、本殿前あたりはオープンな氣というのか、馴染みやすい、居やすい氣が流れている。

しかし、少し後方に行くと、強い氣を感じるのだ。

 

そこには、三宝荒神社がある。

ご祭神は、三宝荒神大神。

 

日本特有の仏教における信仰対象の1つ。仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する佛神である。
荒神は、仏法ならびに伽藍の守護神のことである。

役小角が金剛山で祈祷していると、艮(北東)の方角に赤雲がなびき、荒神が現れ、その地に祠をつくって祀ったという伝説がある。
また、荒魂を祀って荒神としたという説もある。後者は、ヒンドゥー教での悪神が仏教に帰依した後に守護神・護法善神とされた風習が、日本の風土でも同じくされたと解釈される。

像容としての荒神は、インド由来の仏教尊像ではなく、日本仏教の信仰の中で独自に発展した尊像であり、三宝荒神はその代表的な物である。日本古来の荒魂(あらみたま)に、古代インドに源泉をもつ夜叉神の形態が取り入れられ、神道、密教、山岳信仰などのさまざまな要素が混交して成立した。荒神を祀る寺院や神社は日本全国に約300社ある。

三宝荒神の像容は、三面六臂または八面六臂(三面像の頭上に5つの小面を持つ)である。頭髪を逆立てて眼を吊り上げた、暴悪を治罰せんとする慈悲が極まった憤怒の表情を示し、密教の明王像に共通するものがある。

不浄や災難を除去する神とされることから、火と竈の神として信仰され、かまど神として祭られることが多い。これは日本では台所やかまどが最も清浄なる場所であることから俗間で信仰されるようになったものである。(Wikipediaより)

 

 

その強さ、荒々しさ、厳しさに、この周辺の地主神なのではないかと思う。

 

九十九折り参道をつらつらと歩き、本殿金堂へ向かう。

 

途中からの撮影!

初夏。山の緑が勢いづく。

 

 

そして、本殿金堂へ到着!

 

(次の写真はフリー素材です)

 

さすがに今年は違う。

六芒星で写真撮影する人の列ができていたのにはびっくり。

私たちも並びましたが。(笑)

 

 

本殿内外でお参りし、金堂周辺を楽しみ、

しばしの休憩のあとは、いよいよ奥の院へ向かう。

 

そうだ、魔王に会いにいこう!

 

 

奥の院参道に入ると、氣がガラリと変わる。

水の氣、陰の氣が強くなる。

 

 

ヒンヤリとした、冷たくもあり、厳しくもあり、それでいて包み込むようなエネルギーに身体が緩む。

神旅で脚を酷使しているはずが、高い波動の山に入ると、心身が癒され、時に治療されていると感じることがある。

霊山・聖山といわれる山は秘密を隠す。そのひとつが人間の肉体におよぼす影響だ。

 

 

階段を上り下りしながら、奥の院を目指す。

途中、木の根道から瞑想道場へ寄り、瞑想と休憩を兼ねる。

 

 

さらに、不動堂・義経堂を経て、奥の院・魔王殿到着!

 

 

参拝客が多いせいか、周辺のエネルギーはいつもより華やいでいるように思えた。

 

堂内で瞑想を通して、魔王のエネルギーにふれる。

いつもより優しい。

女性的なエネルギーにも感じる。

 

間もなくウエサク祭を迎える鞍馬山。

すでに仏陀は到着し、山を訪れる魂たちを見守っているだろうか。

なぜなら昨日、京都・六角堂で「慈悲」という言葉と共に、そのエネルギーに包まれた。

それは、鞍馬山でも続いている。

六角堂にある如意輪観音さんが一緒に参っている?

奥の院で感じた優しい氣は、それなのだろうか。

 

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そして、魔王殿を後に、貴船神社方面へと山を下った。

 

下る。下る。下る。

 

やがて、鞍馬山の山門を抜けるとホッとひと息。

ガクつく膝を感じながら、貴船神社へ向かう。

 

貴船神社

 

ご祭神

本宮 高龗神
奥宮 闇龗神(高龗神と同じ神であるとされている)
中宮 磐長姫命

 

社前には賀茂川の上流に位置する貴船川が流れており、京の市中を潤す鴨川の源流とも考えられた
水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。
(Wikipediaより)

 

貴船はいつ参っても、絵になる場所。そして、心落ち着く場所だ。

水の氣が多い地ではあるが、その氣がちょうど良く心身を刺激する。

潤う。

 

 

想像通り、参拝客がたくさん!

 

 

本宮境内にあるご神水。

水の神ゆえ、この辺りは氣の強さを感じる。

 

 

中宮・奥宮に参る前に、遅めのランチタイム!

 

今回は、川床料理を体験。

歩きどおしで汗をかいていたので、最初は心地よかった川の流れが、徐々に寒くなってきた。

季節がまだ早いせいもあったが、京の夏の風物詩・川床は、想像以上に涼しさを体感できる。

 

 

湯葉御膳を注文。

川は涼しく、お料理は温かく、美味しかった。

 

鞍馬・ウエサク・ライトワーク・大宇宙・小宇宙。

次元と時空と、日常と超日常と、話は広がる。

しかし、川床の威力は肉体を直撃! 涼しい〜・・ということで、次の目的地へ。

 

 

京都ならではのランチタイムのあとは、奥宮へ。

 

 

鳥居をくぐると、ガラリと氣が変わる。

闇龗神のエネルギーが現れる。

一層、水の氣が深く濃くなった。力強いエネルギーへと突入していったような気持ちにもなる。

 

それもそのはず、本殿下は龍穴になっているという。

地の氣が渦巻く場所。

それはあたかも、どでかい龍神がとぐろを巻いて寝ているところにお邪魔したような感覚だ。

 

次々と参拝客が参る奥宮。

 

 

晴天とはいかないまでも、鞍馬山では薄陽がさしていた。

それが貴船神社に参ってから間もなく、雨が降りだしそうな空模様。

 

奥宮の深く濃い氣を堪能した後は、中宮へ。

 

そこで一番氣が向いたのは、ご神木。桂の樹。

本宮・中宮・奥宮とそれぞれにご神木があったが、樹のスピリットがシンクロしてきたのは、ここ。

 

樹の下で話をしていると、やがて、雨がポツポツと・・・

龗神・桂の樹・人の氣の交流。

間に間の世界。スピリット同士のコミュニケーション。

 

 

この日、ほぼ予定時間。鞍馬山・貴船神社を巡るライトワークは終了!

その後、バスと電車を乗り継いで、京都市内へ戻った。

 

だが、鞍馬山の余韻は続き、夜会へと突入!

 

さて、ウエサク祭。

天上と地上の間に道が開き、強いエネルギーが降り注ぐ5月の満月の時。

人類の平和と目醒めを祈る。

 

ところで、目醒めとはどのような状態だろう?

 

それは、「キリスト意識」への変容を意味する。

魂意識を介し、キリストの聖なる愛のエネルギーを感受し、纏うことを意味する。

 

しかし、気忙しい日常、普段の生活の中、意識の変遷はなかなか難しい。

高い波動のエネルギーフィールドにないと、魂は刺激を受けにくいからだ。

 

 

大宇宙の愛。

天にある光の兄弟姉妹たちの愛。

 

1年に何度か天と地が太くつながる時、

それを受けとりやすくなる。

 

そして、

 

「なにか」が動く。

 

 

目醒め。

キリスト意識へ向かうとき、

分離が、統合への道が現れ、

グループ意識へと目醒め、

グループへの奉仕、地球への奉仕へとつながっていく。

 

一は多であり、

多は一であり。

 

ならば、人に刃を向けること、

すなわち、自分に刃を向けること。

 

次の地球へ向け、

意識の変遷が急がれる。

 

 

 

※特定の教義・団体には属していません。

※文中のキリストとは、特定の教義ではなく、大宇宙の聖なる愛を意味しています。