瀬織津姫。
もうそろそろ書く頃かな。
テレビで台風の映像を見ていて思った。
また日曜日から月曜日にかけて。関東方面にも台風がやってくる。
恵みの雨か、浄化の雨か・・・分からない。
大雨が降るたび、川が氾濫したり、道路が水で溢れるのを見ると、
この頃は瀬織津姫を思い出す。
水を司る神さま。龍神様。
水で穢れを祓う。
瀬織津姫の話を聞いたのは、今年に入ってからのことだ。
何気ない世間話の中で、姫神様の名前がでてきた。
エネルギーの強さから、古代に封印された神様。
その神様が2011年3月11日の東日本大震災で封印を解かれたという。
私の意識を刺激したのは、実は東日本大震災という言葉だったかもしれない。
だが、そこから瀬織津姫がとても気になり始め、色々と調べてみた。
そうなると次は、姫神様のエネルギーを感じてみたくなる。
瀬織津姫は、古事記や日本書紀よりも古くに書かれたともいわれる、
古史古伝「ホツマツタエ」によると、天照大神の妻だったという。
通説では、天照大神は女性の神様とされているので、驚きだ。
歴史が歪められたのか?それは、分からない。
言われていることは、古代の女性天皇 持統天皇が意図をもって、
瀬織津姫の名前を表舞台から消し、変わって天照大神を女神に仕立てたという。
女性天皇として世を治めるために、女性の最高神の存在が必要だったのか?
歴史の彼方のこと、ただ想像するばかりだ。
持統天皇。懐かしい響きだ。
私の前世の一つに、大化の改新前後の時代がある。
何年か前に、飛鳥地方に行ったことがあるのだが、そのきっかけとなったのは、
里中満智子さんが描いた「天上の虹」というマンガだった。
その時代背景、風景、生きた人々に思いを馳せ、
とにかく、飛鳥に行きたく行きたくて仕方なかった。
魅力を感じるのは、時の権力者ではなく、大きな勢力に抵抗して果てた
皇子や皇女たち。
その頃も、人民を操作し、貶める権力に対して抵抗していたのかもな。
あっ、その旅でも、謎のおじさんが登場した。
あれは、法隆寺の近くの古墳を見に行った時のことだ。
謎のおじさんから声をかけられたっけ?
きっと、前世で同じ時代を生きた豪族?だったのかもな。
さて、話を瀬織津姫に戻す。表舞台から抹殺された姫神様。
ネットでお祀りしている神社を探してみると、全国に何ヶ所か見つかった。
名前そのものが瀬織津姫神社、石川県金沢市にあるのを発見した。
「石川県か・・・」
その距離に躊躇する。
瀬織津姫、瀬織津姫・・・瀬織津姫・・瀬織津姫・・
頭の中をその文字が行きつ戻りつしながら、数日過ぎた。
その日は、6月30日。夏越の大祓の日。
このところ、神社への参拝が普通になっていたので、それがどんな儀式かも分からず、
とりあえず、隣駅にある熊野神社へ行ってみた。
「芽の輪くぐり」というのも、名前しか知らず、どのようなことをするのか、ほぼ真っさらな状態。
とりあえず、お賽銭あげて、参拝すればいいのかな?なんて軽い気持ちで向かった。
・・・・が、しかし、違った。
その日は雨が降ったり止んだりという天気にもかかわらず、神社境内には沢山の人。
地元選出の国会議員をはじめ、県議、市議、土地の有力者も顔を揃えていた。
そして、驚いたことに、参列者全員で奏上する祝詞には、「瀬織津姫」の文字が!
ここ数日、行きつ戻りつしていた私の目の前に、瀬織津姫が
ドンと現れたような気持ちになった。
「これはやっぱり、参拝するってことでしょう!」
そう思った途端、金沢行きを決めた。
だが、早く瀬織津姫にお会いしたいとはやる気持ちが抑えきれずにいた。
そこで、関東近辺で姫神様をお祀りしている神社を探してみることにした。
自分の中でいくつか候補が上がったが、選んだのは東京多摩市にある小野神社さん。
瀬織津姫は、水を司る神様なので、お祀りする神社さんの近くには河があったりする。
いつの時代であっても、河は田畑を潤すものであり、直接的にも間接的にも
人間に恵みをもたらすもののはずが、いつの頃からか、河と人間との間に大きな距離が
出来てしまっているようにも感じる。
少し前には、高度成長期の名の下に、河を汚染し、したい放題の時代もあった。
台風などで河が自力での浄化をはかると、今度は河の流れを変えてでも氾濫をさせまいと
管理監督するようになった。
河の氾濫は、実は、反乱なのか・・・。
小野神社さんは街中にあるせいか、とても優しい気の流れを感じた。
誰でも受け入れてくれる。
道路からも境内を全域を一目で見ることができるので、言葉が適切ではないが、
開かれた隠し事のない神社というイメージをもった。
八百万の神々のエネルギーに触れてみると、神様は、決して恐れ多いものでもなく、
遠い存在でもなく、悪さしたからバチが当たるとか、そんな怖い存在でもないし、
遠い存在でもない。
むしろ、常に人間に寄り添い、見守っている。
何かメッセージを贈りたいときには、すぐ近くまで来ていることを知らせてくれる。
だが、頭で考えることに慣れてしまった人間は、五感が閉じられてしまっているので、
すぐそばに自分を見守る八百万の神々が来ていても、それを感じることが
できないのかもしれない。
あなたを見守る八百万の神々がすぐそばにいることを感じてみて欲しい。
その時々にあなたが必要とする神様が来てくれているはずだから。
優しく励ましてくれる神様かもしれない。
閃きや直感、叡智を与えてくれる神様かもしれない。
子どもを慈しむ神様かもしれない。
また、転機が訪れようとしている人には、少々厳しい神様が来るかもしれない。
神様というと、ちょっと宗教的で、受け入れにくい人もいるかもしれない。
高次のエネルギーとでも言おうか。
祈れば、願えば、メッセージを携えて来てくれるだろう。
ただ、その願いがあまりにも自分や他人を貶めることだったり、
私利私欲に塗れた願いだったら、その願いは届かないかもしれないので、そこはご注意を!
あなたの魂からの願いならば、八百万の神々はその声を聴き届けてくれるだろう。